How toバイクが上達する人と、止まる人の差はどこにあるのか

競技をする人であれば、上達した方がよいのはもちろんです。
でもこれは、競技者だけの話ではありません。

一般ライダーの方でも、楽しく走るため、安全のためには、やはり上達した方がよい。
だからこそ、ライディングスクールに通ったり、何かを学ぼうとしたりする、志のある方もおられるのだと思います。

そこでいつも感じるのです。
せっかく学ぶ場に来ていても、そこから伸びていく人と、そうでない人がいる。
体力やセンスの差ももちろんあるでしょう。
でも長く見ていると、それだけでは説明できない差がある。
そのひとつが、人の言葉や提案をどう受け取るかです。

私自身、元モトクロスの国際A級ライダーであると同時に、二輪車安全運転特別指導員でもあります。
その関係で、10年ほど地域のライディングスクールにも関わらせてもらいました。
モトクロスの現場でも、一般のライダーの現場でも、上達する人と止まる人の両方を見てきたつもりです。

人から何か言われた時に、

「なるほど、そういう考え方もあるのか」

と一度受け取れる人と、

「いや、それは違う」
「でも自分の場合は」
「そうは言っても」

と、まず自分を否定されないように反応してしまう人。
この差は、思っている以上に大きいように感じます。

アドバイスは100%正しいとは限らない

もちろん、アドバイスが100%絶対に正しいとは限りません。

路面も違う。
バイクも違う。
体格も違う。
時代によって考え方も変わる。
こちら自身も、経験を重ねる中で考えが変わることはあります。

昔はこう思っていたけれど、今は少し違う。
そういうことも当然あります。

でも、それでも伸びる人は伸びます。

なぜか。
それは、伸びる人は完璧な答えを求めすぎないからだと思います。

全部をそのまま鵜呑みにするのではなく、
一度受け取って、自分でやってみて、その中から使えるものを拾う。
この姿勢がある人は、やはり強いです。

昔は雑なヒントでも、そこから伸びる人がいた

昔は今ほど情報が整理されておらず、教え方もかなり大ざっぱでした。

「そのジャンプ、気合いで飛べ」
「色々言わず全開でいけ」
「そこで戻すな」
「とにかく開けろ」

今の感覚で見れば、かなり雑な言葉です。
説明としては荒いし、そのままでは危ない場面もあるでしょう。

それでも伸びる人は伸びていました。

それは、昔のアドバイスが特別に優れていたからではなく、
多少雑なヒントでも、それをもとに何度も走る中で、自分なりに意味をつかみ、体が覚えていったからではないかと思います。昭和な時代は、スポーツ根性もの全盛期、雑なアドバイスが基本、しかしそれからでも何か、をつかみ取る能力が受け取る側に高かったのかもしれません。

モトクロスでは、特に子どもの頃は、親に連れて行ってもらわないと練習もできない。
だから泣きながらでも、言われたことをとりあえずやるしかない。
その中で、理屈より先に身体が覚えていく部分があったのでしょう。

ところが、ある程度年齢を重ねて、自分でも走れるようになり、アドバイスする人より自分の方が速い、という形になると、そこで差が出始めることがあります。
そうなると、話の中身より先に、誰が言ったかを見るようになる。
極端に言えば、「じゃ、お前走ってみろよ」という受け取り方になることもある。
こうなると、もう学ぶ姿勢から少し離れてしまいます。

素直に一度試す人。
先にできない理由を並べる人。
長く見ていると、ここで止まる人はかなり多いように感じます。
そこができる人は本当に少ない。長く見てきた実感として、そういう人はごく一部です。

そして、キッズのころはあんなに速かったのに、成長したらなんだか普通になった、というパターンも、ここに重なる気がします。
子どもの頃は、泣きながらでも言われたことをやる。だから伸びる。
でも大きくなって、自分なりの考えやプライドが固まり、人の話をそのまま入れなくなると、そこで伸びが止まる。
才能が消えたというより、学び方が変わってしまったのかもしれません。

動画で「わかったつもり」も危ない

今は動画でいくらでも情報が見られます。
これは良い時代だと思います。

ネットでも何か探せばそれらしいことは書いてたりします。

でも、その一方で危ないのは、
動画を見て、なんとなく理解した気になることです。

頭の位置。
ブレーキングでの荷重。
肘の使い方。
開け始めのタイミング。
コーナーでの体の向き。

こういうものは、動画を見ると「なるほど」と思えます。
でも、実際に自分ができているかは別の話です。

しかも人は、自分では

  • できているつもり
  • 前に乗っているつもり
  • 肘が上がっているつもり
  • 開けているつもり

になりやすい。

ここがかなり危ないところです。

上達には第三者の目が必要

動画を見る。
自分なりに解釈する。
ここまでは多くの人がやります。

でもその先に必要なのは、

「いや、お前そうなってないよ」

と言ってくれる第三者の視点です。

自分では前に乗っているつもりでも、実際には全然後ろかもしれない。
肘を上げているつもりでも、肩が上がっているだけかもしれない。
開けているつもりでも、実際には一回待っているかもしれない。

このズレは、自分一人ではなかなかわかりません。

だから上達には、知識だけでなく客観視が要るのだと思います。

動画は教材にはなる。
ただ、動画に客観視してくれる機能はありません。
見て理解したつもりにはなれても、自分が本当にその通りにできているかは別の話です。
それを判定するには、他人の目が必要です。

実際にあった話

昔、モトクロスでこんなことがありました。

あるライダーに、
「自分、全然予選通らないんですよ。どうしたらいいんですかね?」
と聞かれたことがあります。

その頃は、まだこちらにとってライバルでも何でもありませんでした。
正直に言えば、本当のことを言っても、どうせ逆をするだろうという油断もありました。

昔から、勝たせたくないライバルには本当のことを言えばいい、という感覚がどこかにありました。
右だと言えばけっこうな確率で左を選ぶ。
まともなことを言っても、受け取れない人の方がずっと多い。
だからその時も、あまり警戒せずに、こうこうすればいけるんじゃないの、と普通に話しました。

でもこれは、ただの意地悪ではありません。
勝負の世界では、相手が何をどう受け取るかまで含めて実力差になるからです。

こちらが「右の方がいいよ」と本当のことを言っても、相手が反発して左を選ぶなら、その時点で相手は情報ではなく感情で動いている。
そこまで読めるなら、こちらにとってはそれも戦略のうちです。

つまり、受け取る力がない人は、伸びないだけではなく、相手に動かされやすい。
だから受け取る力も、立派な実力の一部なのだと思います。

ところが、その彼は違いました。

ただ聞いただけで終わらなかったのです。
ちゃんと受け取って、自分なりにやってみて、少しずつ自分の走りの中に入れていったのでしょう。
正直、まじか、教えなきゃよかったという感じでした。
数年先には、なかなか厄介なライバルになっていました。

あの時に強く感じたのは、
人を伸ばすのは特別な秘密ではなく、受け取る力だということです。

そして本当に怖いのは、今速い人ではなく、
今はまだ遅くても、受け取って変われる人なのだと思います。

一方で、最近は途中から止まっていく場面もありました

わりと最近、身近にモトクロスをしていた人に教えていたことがありました。

最初の頃は、このスポーツ自体がまだよくわからないこともあって、こちらが言うことに対して「はいはい」と、わりと素直にそのままやっていました。
そのあたりまでは、タイムもまあまあ伸びて、いい感じだったのです。

ところが、ある程度すると変わってきました。

「マシンがよかったらもっといける」
「あなたはそれができるかもしれないけど、僕は僕に合うやり方がある」

そんなふうに、理由づけや言い訳がどんどん増えていったのです。

そして案の定、それからは、練習するほどに遅くなっていきました。

こういうものは、モトクロスであればラップタイムの差として上達や後退が見えやすいのがよいところです。
ところが、こうなってしまうと、その客観的な数字に目を向けたがらなくなる。
自分は間違っていない、やり方は悪くない、と殻に閉じこもるようになります。

さらにそこへ、耳障りのよい友達などの言葉ばかりが入るようになる。
自分を守ってくれる意見は入るけれど、自分を変えないといけない意見は入らない。
そうなると、もう上達より安心の方を選び始めているのだと思います。

そうなると、もう技術の問題というより、受け取り方の問題です。
そしてそこまで行くと、アドバイスする側も正直面倒になる。
何を言っても入らないので、だんだんどうでもよくなってしまう。
つまり、そこでその人の伸びは止まる。
そこが、その人の限界になるのだと思います。

最初は教えたことが入っていた。だから伸びた。
でも途中から、教わったことを自分の中に入れるより、入らない理由を作る方が先になった。
そうなると、同じ練習量でも中身が変わってしまうのです。

だから私は、伸びない理由を全部教える側の責任にするのは違うと思っています。
もちろん、教え方の良し悪しはある。
でも、受け取る側が途中から自分を守る方へ回ってしまえば、そこで止まる。
これはバイクに限らず、仕事でも同じだと思います。

本当に一度試す人はほとんどいない

体感的に言えば、素直に一度試す人は本当に少ないです。

多くの人は、

  • 聞く
  • わかったような顔をする
  • 頭では理解したつもりになる

ここまでは行きます。

でもその先の、
何も足さず、何も引かず、まず一度そのまま試してみる
まで行く人は本当に少ない。

しかも、試したつもりでも実際には

  • 自分流に薄めている
  • 怖いので無意識に元に戻している
  • できない理由を混ぜている
  • 一回うまくいかないとすぐやめる

ということも多い。

厳密に言えば、本当に素直に一度試せる人はさらに少ないのでしょう。

そしてその割合は、モトクロスで上の上まで行く人の割合とも、案外重なる気がします。

つまり競技を分けているのは、才能だけではない。
受け取る力そのものが、かなり大きな実力差になっているのだと思います。

一般のライダーでも同じ

これはモトクロスだけの話ではありません。
一般のライダーでもまったく同じです。

足つき。
ハンドル位置。
乗車姿勢。
ブレーキの使い方。
視線。
危険への備え方。

こういう話をした時に、

「なるほど、そういう考え方もあるのか」

と一度入れられる人は伸びます。

逆に、

「いや、自分は昔からこれで」
「でもネットでは違うことを言っていた」
「自分にはそれは合わない」
「体格的に無理」
「このバイクはそういう乗り方じゃない」

と、まず守りに入る人は止まりやすい。

もちろん提案する側が全部正しいわけではありません。
でも、そこで必要なのは完全否定でも完全服従でもなく、
一回受け取ってみることです。

そこができる人は本当に少ない。長く見てきた実感として、そういう人はごく一部です。

レースの世界に限らず、バイクの運転技術でも同じです。
受け取らずにいてくれれば、その差は残る。
安全さや余裕も含めて、その差が10年20年経っても埋まらないことさえあります。

今は、教え方のせいにしやすい時代かもしれない

今は昔より、丁寧に教えてくれる人も増えました。
動画もある。理屈も整理されている。
昔より、学ぶ環境そのものはむしろ整っている面があります。

それでも伸びない人がいる。

そこで最近感じるのは、
ダメなら教え方が悪い、という空気です。

もちろん、教える側にも責任はあります。
雑すぎる、危ない、順序が悪い、相手を見ていない。
そういう教え方ならだめです。

でも一方で、どれだけ丁寧に教えても、

  • そのまま一回やらない
  • 怖くて元に戻す
  • 自分の解釈で薄める
  • 指摘されても「いや自分は」で返す

なら、伸びないのは当然です。

そこまで全部、教える側の責任にしてしまうのは違うと思います。

学校教育の影響も少しはあるのかもしれません。
わからなければ、もっとわかりやすく教えてもらえるはず。
できないのは説明が悪いから。
そんな感覚は、昔より強いのかもしれません。

でも、バイクやモトクロスは、そこが勉強とは少し違います。

自分の体で試して、失敗して、崩れて、修正する。
この過程は、省略できません。

丁寧に教わることはできても、
上達そのものを与えてもらうことはできないのです。

聞かない人は、こちらにとっては助かる面もある

同じレースを走るのであれば、こちらが材料を渡しても受け取られないままでいてくれる方が、競争の上では助かる面があります。
こちらは材料を渡しているのに、それを拾わない。
なら、その差が残るのは当然です。

別に「ざまあみろ」と言いたいわけではありません。
ただ、残念でしたね、その差は簡単には埋まりませんよ、というだけです。

勝負の世界では、受け取る力も実力のうちです。

走る技術だけでなく、
人の言葉から使えるものを拾う力。
それもまた、速さを作る一部だと思います。

まとめ

上達する人と止まる人の差は、才能だけではありません。
年齢だけでもありません。

大きいのは、

  • 一度受け取れるか
  • やってみるか
  • 自分の解釈だけで終わらせないか
  • 客観的に修正できるか

この差です。

人の提案を
「そういう考え方もあるのか」
と受け取れる人は伸びる。

逆に、
とりあえず自分を否定されないように反応してしまう人
は止まりやすい。

モトクロスでも、一般のライダーでも、仕事でも、そこは同じです。

そして今は、丁寧に教えてもらえる時代になったぶん、
できない理由まで教える側に預けてしまう人が増えたのかもしれません。

でも本当は、そこで差がつく。

不完全でも、一度受け取り、試し、自分で確かめる。
雑なヒントからでも、自分なりに意味をつかみ取っていく。
その積み重ねが、結局いちばん強いのだと思います。