
バイクで街中へ行きにくくなった理由
ある時期から、都市部でバイクに乗ることの意味が少し変わったように感じます。
走ることが難しくなったというより、
停めることが難しくなったのです。
先日、お客様からこんな話を聞きました。
「原付なら、まだなんとか街中に停める場所がある。
でも、大きいバイクで行くと、四輪よりもよほど停める場所がない」
これは、今のバイク駐車場問題をとてもよく表している言葉だと思います。
大きいバイクといっても、四輪より場所を取るわけではありません。
むしろ四輪1台分のスペースがあれば、バイクなら数台停められるはずです。
それなのに現実には、四輪の方が駐車場を探しやすい。
バイクの方が小さいのに、バイクの方が停めにくい。
ここには、少し考えるべき問題があるのではないでしょうか。
違法駐車を肯定する話ではありません
もちろん、違法駐車を肯定するつもりはありません。
歩道をふさぐような駐車。
交差点付近や駅前、通行の妨げになる場所への放置。
毎日のように同じ場所へ長時間置きっぱなしにする使い方。
これはやはり問題です。
高齢者、障害のある方、ベビーカーを押す方、歩行者の安全を考えれば、放置車両を減らす必要があったことは理解できます。
ただ、すべてを同じように扱ってよかったのか、という疑問は残ります。
食事をする。
買い物をする。
病院や銀行、市役所などで用事を済ませる。
その程度の短時間であれば、バイクはもっと柔軟に停められる仕組みがあってもよかったのではないでしょうか。
問題は「取締り」ではなく「受け皿」だった
問題は、違法駐車を取り締まったことそのものではありません。
問題は、合法的に停められる場所が十分ではなかったことです。
本来なら、まず停められる場所を用意する。
そのうえで、悪質な違法駐車や長時間放置を取り締まる。
そういう順番が望ましかったのではないかと思います。
ところが実際には、路上駐車の取締りが強くなる一方で、バイクを停められる場所は十分とは言えませんでした。
取締る時は、四輪と同じ車両として扱われる。
しかし停める場所を探す時は、四輪の駐車場からも、自転車の駐輪場からも外れてしまうことがある。
ここに、バイク特有の難しさがあります。
駐車場業者だけを責める話ではありません
民間の駐車場経営者が、二輪専用駐車場に消極的になる事情も理解できます。
四輪より料金を取りにくい。
管理の手間がある。
盗難、転倒、ゲート対応の問題もある。
商売として考えれば、四輪だけを相手にした方が安定するという判断もあるでしょう。
ですから、駐車場業者だけを責める話ではないと思います。
だからこそ、社会全体として、もう少しバイクを受け入れる工夫が必要だったのではないでしょうか。
専用駐車場でなくても、できることはあったはず
二輪専用駐車場を大量に作る、という話だけではありません。
たとえば、
四輪駐車場の端やデッドスペースを二輪用にする。
四輪1台分の枠を、二輪数台分として使う。
公営駐車場から先に二輪を受け入れる。
駅前や商業施設に、短時間の二輪駐車枠を作る。
自転車駐輪場の一部で、125ccを超えるバイクも受け入れる。
高架下や公共施設の余白を活用する。
路上にも、正式な二輪駐車スペースを作る。
こうした方法は考えられたはずです。
「危ないからダメ」
「邪魔になるからダメ」
というだけではなく、
「では、ここなら停めてもよい」
という場所を明確にする。
きれいな専用駐車場でなくても、線を引く、案内板を立てる、短時間利用を認めるなど、工夫できる部分はあったと思います。
街の経済にとっても、もったいない
バイクで街中に行けないということは、単にライダーが不便になるだけではありません。
その街で食事をしない。
買い物をしない。
商店街に寄らない。
観光地に立ち寄らない。
つまり、街に落ちるはずだったお金も失われるということです。
バイクは四輪より少ないスペースで来店できる乗り物です。
うまく受け入れれば、街にとってもプラスになるはずです。
特に地方都市では、中心部のにぎわいづくりや観光地への立ち寄りという面でも、バイクを受け入れることには意味があると思います。
「車は停められるけれど、バイクは停められない」
これでは、本来来てくれたかもしれないお客様を逃してしまうことにもなります。
バイクは本来、都市にも向いている乗り物です
バイクは本来、都市にも向いている乗り物です。
四輪より小さい。
燃費もよい。
駐車スペースも少なくて済む。
移動の自由度も高い。
都市部や中心市街地の移動手段として、かなり合理的な面があります。
もちろん、危険な場所への駐車や、長時間の放置は問題です。
しかし、バイクという乗り物そのものが邪魔な存在というわけではありません。
むしろ、きちんと受け入れる仕組みがあれば、街にもライダーにもメリットのある乗り物だと思います。
二輪は「小さい四輪」ではありません
これは駐車場だけの話ではありません。
長くバイク業界に関わっていると、二輪が四輪に比べて、制度の中で後回しにされているように感じる場面があります。
整備関連の講習や制度の中でも、中心にあるのはやはり四輪です。
二輪は少数派であり、どうしても扱いが小さくなりがちです。
しかし二輪は、四輪の下位互換ではありません。
構造も、使われ方も、危険の出方も、整備の勘所も違います。
二輪は「小さい四輪」ではありません。
まったく別の乗り物です。
それなのに、制度や行政の中では、四輪を中心に考え、二輪はその周辺に置かれがちです。
取締る時は四輪と同じ。
しかし制度を作る時は、四輪のついで。
そうなってしまうと、二輪の実情に合った仕組みにはなりにくいのではないでしょうか。
駐車場問題も、その延長線上にあるように感じます。
バイクは“自己責任の趣味”だけではありません
バイクに関わっていると、時々こういう空気を感じることがあります。
「バイクは趣味の乗り物なのだから、不便でも仕方ない」
もちろん、はっきりそう言われるわけではありません。
しかし制度の扱い、駐車場の少なさ、取締りの順番、行政資料や講習の中での二輪の扱われ方を見ていると、そう感じることがあります。
バイクに乗ること自体が、どこか「自己責任の趣味」として片付けられている。
だから不便になっても仕方ない。
停める場所がなくても仕方ない。
危ない乗り物を選んでいるのだから仕方ない。
そんな空気を感じることがあります。
しかし、バイクは単なる自己責任の趣味ではありません。
通勤にも使われる。
買い物にも使われる。
仕事にも使われる。
観光にも使われる。
そして、生活と趣味の間にある、とても自由で合理的な乗り物です。
だからこそ、バイク駐車場問題は単に「停める場所が少ない」という話ではないと思うのです。
バイクを交通手段として認めているのか。
それとも、趣味の乗り物として各自の自己責任に任せるのか。
その違いが、この問題には表れているように思います。
現場で聞こえる声を、もっと大切にしたい
私たちは日々、バイクを販売し、整備し、お客様の使い方を見ています。
だからこそ分かることがあります。
バイクは、単なる趣味の道具ではありません。
通勤にも、買い物にも、仕事にも、ツーリングにも使われる生活の一部です。
それなのに、街中へ行くと停める場所がない。
車なら停められるのに、バイクでは断られる。
原付なら何とかなるが、大きいバイクでは難しい。
そういう声を聞くたびに、やはり考えさせられます。
普通にバイクを使っている人たちの声が、制度や街づくりの中にもっと反映されてもよいのではないでしょうか。
停められない乗り物は、都市交通として成立しにくい
繰り返しますが、違法駐車を認めろという話ではありません。
問題は、合法的に停める場所が少なすぎることです。
長時間放置は取り締まる。
しかし短時間利用は受け入れる。
危険な場所は不可。
しかし停めてもよい場所は明確にする。
そのくらいの工夫は、もっと考えられてもよいのではないでしょうか。
バイクは走れなくなったのではありません。
停めにくくなったのです。
そして、停められない乗り物は、都市交通として成立しにくくなります。
これから先、バイクを社会の中に残していきたいなら、走る楽しさだけを語っていては足りないと思います。
停める場所。
使いやすい環境。
日常の移動手段としての扱い。
そこまで含めて考えなければ、バイクはどんどん「特別な趣味の乗り物」になってしまいます。
でも本来、バイクはもっと身近な乗り物だったはずです。
通勤に使う。
買い物に使う。
街中に出かける。
少し遠くまで走る。
生活と趣味の間にある、自由な乗り物だったはずです。
四輪より小さいのに、四輪より停める場所がない。
この矛盾を放置したまま、バイクの未来を語ることはできないと思います。
バイクは本当に、この社会に必要ない乗り物なのでしょうか。
私は、そうは思いません。
だからこそ、今あらためて考えたいのです。
バイクは走れなくなったのではない。
停めにくくなったのだ、と。