その他・雑談バイクが好き。でも、最後に乗ったのはいつですか?

バイクが好き。

そう言う人でも、案外バイクに乗っている時間は短いのではないでしょうか。

これは、誰かを責めたいという話ではありません。
自分自身もそうです。

若い頃に比べると、バイクに乗る時間は、自然にはなかなか生まれません。

仕事の予定。
家族の用事。
家のこと。
体力のこと。
天気のこと。
そして、バイクの準備。

ヘルメットを用意して、ウェアを着て、空気圧を見て、バッテリーを気にして、場合によっては整備も必要です。

若い頃のように、

「ちょっと乗ってくるわ」

だけでは済まないことも増えてきます。

バイクは生活必需品ではない

そもそもバイクは、多くの人にとって生活必需品ではありません。

車のように、毎日の通勤や買い物、家族の送迎で必ず使うものではない。
乗らなくても、生活は普通に回ってしまいます。

だからこそ、バイクは放っておくと乗らなくなるのだと思います。

バイクが嫌いになったからではない。
飽きたからでもない。

ただ、予定の中に入れなければ、自然と後回しになってしまう。

お店でも、車検でお預かりしたバイクの走行距離を見て、

「あれ、2年間で300kmも走っていない」

ということは珍しくありません。

でも、それはその方がバイクを嫌いになったということではないと思います。

乗りたい気持ちはある。
バイクも大事にしている。
でも、乗る時間がなかなか取れない。

大人になるほど、バイクは
「時間があったら乗るもの」ではなく、
「時間を作らないと乗れないもの」
になっていくのだと思います。

乗らないと、人もバイクも調子が落ちる

ただ、バイクは乗らない期間が長くなると、少しずつ遠い存在になっていきます。

まず、人間側の感覚が鈍ります。

車体の重さ。
ブレーキの効き方。
クラッチのつながり。
低速でのバランス。
曲がり始めの感覚。
アクセルを開ける感覚。

久しぶりに乗ると、以前は普通にできていたことが、少し怖く感じることがあります。

そして、怖くなると、また乗るのが少し億劫になる。
乗らなくなると、さらに感覚が鈍る。

この流れは、意外と多いのではないかと思います。

しかも、調子が落ちるのは人間だけではありません。
バイクも、乗らないことで調子を崩します。

バッテリーが弱る。
タイヤの空気が抜ける。
ガソリンが古くなる。
チェーンやブレーキ周りの動きが渋くなる。
キャブ車なら始動しにくくなる。

バイクは、置いておけばそのまま保存されるものではありません。
動かしているからこそ、調子が保たれる部分があります。

バイクのトレーニングは、やっぱりバイクでしかできない

自分自身、若い頃からモトクロスをやってきました。

この年齢になると、嫌でも衰えを感じます。

体力。
反応。
柔軟性。
回復力。
ちょっとした無理をしたあとの戻り方。

昔なら何でもなかったことが、今は身体に残るようになります。

それが嫌で、少し前まではジムに通ったり、家でトレーニングをしたりしていました。

バイクで走る感覚を衰えさせたくなかったからです。

もちろん、体を動かすこと自体は大事です。
筋力も、柔軟性も、心肺機能も、あるに越したことはありません。

ただ、最初は良くても、少し強度が上がってくると、腰を痛めたり、体調を崩したりすることがありました。

バイクに乗るためにトレーニングしているはずなのに、
そのトレーニングで身体を痛めてバイクに乗れなくなる。

そうなると、何をしているのかわからなくなります。

そこであらためて思ったのは、
バイクのトレーニングは、やはりバイクでしかできない
ということです。

バイクの重さを感じること。
ブレーキをかけること。
曲がること。
アクセルを開けること。
ステップに荷重すること。
車体の動きを感じること。
目線を送ること。
怖さの中で力を抜くこと。

これは、ジムのマシンだけでは身につきません。

もちろん、体づくりは大切です。
でも、バイクに乗る感覚を保つには、やっぱりバイクに乗るしかないのだと思います。

毎日少しでも乗ると、操作に軸ができる

毎日、短い時間でもバイクに乗っていると、
それを1年、2年と続けているうちに、
うまく言えませんが、バイクの操作にひとつ軸ができる気がします。

これは、たぶんそういう努力をしていないと伝わりにくい感覚です。

特別に速く走るとか、峠を攻めるとか、サーキットを走るとか、
そういう話ではありません。

エンジンをかける。
発進する。
止まる。
低速で曲がる。
車体を起こす。
ブレーキをかける。
アクセルを開ける。
クラッチをつなぐ。
路面の変化を感じる。

そういう、ごく普通の操作を毎日のように繰り返していると、
体の中にバイクを扱う基準のようなものが残っていきます。

野球で言えば、素振りを欠かさないこと。
ゴルフで言えば、打ちっぱなしに通うこと。
楽器で言えば、毎日少しでも音を出すこと。

それと同じで、バイクもたまに大きなイベントのように乗るだけでは、
なかなか感覚が積み上がっていきません。

もちろん、大げさなバイクである必要はありません。

大型バイクでなくてもいい。
高性能なバイクでなくてもいい。
近所を走れる小さなバイクでもいい。
通勤や買い物に使えるバイクでもいい。

むしろ、毎日少しでも乗れるバイクの方が、
バイクの基本操作を体に残してくれることがあります。

久しぶりに乗ると、

「なんとなく怖い」
「車体が重く感じる」
「ブレーキの感覚が遠い」
「曲がり始めがぎこちない」

ということがあります。

でも、少しでも日常的に乗っていると、その違和感が小さくなります。

バイクに対して、体が遅れにくくなる。
発進や停止が自然になる。
曲がる時に余計な力が入りにくくなる。
何かあった時にも、少し落ち着いて操作できる。

それは一回一回の走行では小さな差かもしれません。
でも、1年、2年と積み重なると、大きな差になります。

普段使いできるバイクを持つ意味

だから、バイクを長く楽しむためには、
“普段使いできるバイク”を持っておく
という考え方も大事なのではないかと思います。

大きなバイク。
特別なバイク。
憧れのバイク。

それらはもちろん素晴らしいです。

ただ、乗るまでに少し気合いがいるバイクだと、
忙しい時期にはどうしても出番が減ってしまいます。

ウェアを着て、準備して、時間を作って、天気を見て、行き先を考える。

それも楽しいのですが、毎回それだけの段取りが必要だと、
どうしても「また今度でいいか」となりやすい。

だから、ちょっとした移動に使えるバイク。
通勤に使えるバイク。
買い物に使えるバイク。
近所を一回りできるバイク。

そういうバイクを生活の中に入れておくと、
バイクに乗る時間は少しずつ増えていきます。

自分自身も、わざわざバイクを出すほどではないような短い距離でも、
あえてバイクで移動することがあります。

普通に考えれば、歩いたり車で済ませたりした方が楽なこともあります。

でも、それくらいしないと、そうそうバイクに乗る時間なんてありません。

エンジンをかける。
少し走る。
曲がる。
止まる。
駐車する。

たったそれだけでも、バイクを操る感覚は残ります。
そして、バイクも動かすことで調子を保ちやすくなります。

乗るから、また乗りたくなる

バイクは、特別な日にだけ乗るものにしてしまうと、
どんどん生活から遠くなってしまいます。

でも、日常の中に少しでも入り込ませると、
バイクはまた身近なものになります。

そして、そうやって少し無理してでも乗っていると、
案外、次の気持ちが出てきます。

「今度はどこへ行こうかな」
「少し遠回りして帰ろうかな」
「朝の涼しい時間に走ってみようかな」
「久しぶりにあの道を走ってみようかな」

そんなふうに、バイクに乗る気持ちは、
頭の中で考えているだけではなかなか戻ってきません。

実際にエンジンをかけて、少し走って、
曲がって、止まって、また帰ってくる。

その短い時間の中で、
「ああ、やっぱりバイクはいいな」
と思い出すのだと思います。

バイクに乗る時間は、待っていてもなかなか生まれません。
でも、少しでも乗ると、次に乗る理由が生まれます。

乗らないで語るのも、バイク愛

もちろん、乗っていない人はバイク好きではない、という話ではありません。

乗らなくても、バイクを眺める。
磨く。
昔の話をする。
カタログを見る。
部品を探す。
思い出の一台について語る。

それも、間違いなくバイク愛だと思います。

年齢や体調、家庭の事情、仕事の都合。
人それぞれ、乗れない理由もあります。

無理をしてまで乗るべきだ、という話でもありません。

ただ、もし体が許すのであれば。
そして、少しでも乗れる環境があるのであれば。

やはりバイクは、できるだけ乗った方がいいと思います。

乗らずに語るバイクも楽しい。
でも、乗ることでしか育たないバイクとの関係もあります。

だから、たくさんでなくてもいい。
遠くまで行かなくてもいい。
短い時間でもいい。

体が許すうちは、少しでもバイクに乗る時間を生活の中に残しておく。

それが、バイク人生を長く楽しむためには、案外大事なことなのかもしれません。

皆さんは最近、バイクに乗れていますか?
それとも、今は眺めたり語ったりする時間の方が多いですか?