バイクなくなってから気づく前に。今あるバイクの本質を見ていますか

最近、少し古いバイクがあらためて見直されるケースが増えています。

車種によっては中古車価格がかなり高額になっているものもありますが、別にプレミア価格の話だけではありません。

街を走っている昔のバイクを見て、

「おっ、あれいいな」

「今あったら欲しいな」

「新車で売っていたら買うかもしれない」

そんなふうに思った経験のある人は、けっこう多いのではないでしょうか。

ところが、長くバイク販売の現場にいる者として振り返ると、そういうバイクが新車で普通に販売されていた当時、必ずしもよく売れていたとは限りません。

むしろ、

「これ、いいバイクなのになあ」

「なんで売れないんだろう」

と思っていた車種もたくさんありました。

それがなくなって何年かすると、

「あれは名車だった」

「今なら欲しい」

「よくあんなバイク作ったよな」

と言われ始める。

バイクそのものは変わっていないのに、なぜ評価だけが変わるのでしょう。

今回はそこを少し考えてみたいと思います。

売っている時には「他より何が上か」で見る

新車を買おうとすると、当然比較します。

こっちの方が馬力がある。

あっちの方が安い。

こちらの方が装備が多い。

人気がある。

売れている。

リセールがいい。

比較すること自体が悪いわけではありません。

むしろ大きな買い物ですから、当然でしょう。

ただ、その比較が強くなりすぎると、

「そのバイクは、そもそも何をするために作られたのか」

が見えなくなることがあります。

レプリカ全盛期を思い出しても、そうだったと思います。

何馬力出ている。

サーキットで速い。

レースで勝った。

最高速がすごい。

そういう分かりやすく抜きん出た要素を持ったバイクが注目されました。

もちろん、それもバイクの魅力です。

でもその影には、数字では一番ではなくても、

妙に軽い。

扱いやすい。

エンジンに味がある。

ちょうどいい。

乗るとなぜか楽しい。

そんなバイクもたくさんありました。

ところが当時は、それが「強い商品価値」として見てもらえなかった。

そして消えていった。

WR250R/Xも、そうだったと思います

分かりやすい例が、WR250RやWR250Xではないでしょうか。

販売していた頃は、

「250なのに高い」

という話をずいぶん聞きました。

確かに、250ccという排気量だけで横に並べれば、そう感じる人がいても不思議ではありません。

でもWR250Rは、そもそもの作り方が普通の250ccトレールとはかなり違っていました。

ヤマハが2007年に発表した時の開発コンセプトは「オフロードでのYZF-R1」。

新設計の高回転エンジンを搭載し、国内市販オフロードモデルとして初めてアルミ製フレームを採用。競技用YZ250FやWR250Fで培った技術まで投入していました。Yamaha Motor Global Site

つまり、当時「250なのに高い」と言われていた理由そのものが、

「250なのに、そこまで作っていた」

からでもあったわけです。

ところが、なくなってから評価が変わる。

「あれはすごかった」

「よくあんなバイクを市販したな」

「もうあんな250は出ないだろう」

と言われるようになる。

面白いですよね。

売っている時は、

「250なのに高い」。

なくなってからは、

「250でよくここまで作った」。

同じ事実を見ているのに、評価がほとんど逆になっています。

実は、人間の見方そのものが変わる

こういう現象は、単なるバイク好きの懐古趣味だけでもないようです。

消費者心理の研究では、商品が手に入りにくくなると、その商品への価値や欲しさが高まりやすい「希少性」の効果が知られています。2022年には131件の研究をまとめたメタ分析でも、入手困難になるという情報が商品の魅力や購入意向を高める傾向が確認されています。

だから、

「もう買えません」。

と言われた途端に欲しくなる。

これはある意味、人間として自然な反応なのでしょう。

でも、もう一つ興味深い研究があります。

人は、対象が時間的・心理的に近い時ほど、具体的な条件を重視しやすく、距離ができると、より抽象的で本質的な価値を見るようになる、というものです。消費者評価を扱った研究でも、心理的距離が近い場合は具体的な要素の影響が強く、距離が遠くなると、より上位の意味や価値の影響が強くなることが示されています。

これをバイクに置き換えると、実に分かりやすい。

今まさに買う時には、

「高い」

「重い」

「こっちの方が馬力がある」

「同じ金額なら上の排気量が買える」

という具体的な話を見る。

ところが10年経つと、

「軽くて面白かった」

「あのエンジンは独特だった」

「あのサイズだから良かった」

「そもそも、あんな思想のバイクは他になかった」

と見るようになる。

つまり、バイクが変わったのではなく、

こちらの見る場所が変わった。

それなら、

「なくなってから名車になった」

というより、

「なくなってから、ようやく本質を見た」

という方が近いのかもしれません。

だったら、なくなる前にその目で見ればいい

でも、ここで私は思うんです。

だったら、

なくなってからその見方をするのではなく、

まだ新車で買える時に、その目で見たらいいんじゃないか。

ということです。

WR250Rがなくなってから、

「アルミフレームまで使って、よくこんなの作ったな」

と気づく。

それなら本当は、売っている時に、

「なぜ250ccなのにこの値段なんだろう」

で終わらずに、

「なぜこの値段になるような作り方をしているんだろう」

まで見ればよかった。

この二つは似ていますが、かなり違います。

一方は価格の比較です。

もう一方は、そのバイクを作った意味を考えています。

自分のために買うのに、他人を見て決めている

さらに、バイク選びにはもう一つ不思議なことがあります。

バイクを買うのは自分です。

お金を払うのも自分。

乗るのも自分。

重いバイクを押すのも自分。

ツーリングで疲れるのも自分です。

完全に自分の話です。

ところが、いざ選ぶ時になると、

「みんなこれに乗っている」

「ネットではこっちの評価が高い」

「一番売れている」

「知り合いが大型に乗り換えた」

「自分だけ250では格好がつかないかな」

と、案外他人の行動を見て決めています。

でも、知り合いが1000ccを買ったことと、自分に1000ccが必要なことは、本来まったく別の話です。

自分はどこを走るのか。

何を楽しいと思うのか。

どのくらいの距離を走るのか。

軽い方がいいのか。

パワーが必要なのか。

何を身につけたいのか。

本来はこちらが先のはずです。

売れているかどうかは、市場の話。

自分に必要かどうかは、自分の話です。

そこを一緒にしてしまうと、本当は自分に合っていたバイクを見落とすことがあります。

そして今、気になるYZF-R125とMT-125

そこで、今まさに気になっているのがYZF-R125とMT-125です。

両車とも現在、ヤマハ公式サイトでは「生産終了モデル」とされています。ヤマハ発動機株式会社

この125ccモデルが国内に登場した時も、

「125にそこまで必要?」

「その金額なら250でいいんじゃない?」

「普通二輪免許があるなら、わざわざ125を買わなくても」

という見方は少なくなかったと思います。

これも理屈としては分かります。

排気量と価格だけを横に並べれば、そういう答えになります。

でもヤマハは、これらを単なる安い小排気量車として国内に持ってきたわけではありませんでした。

2024年のモーターサイクルショーでは、テーマそのものが「125ccから広がるバイクライフ」。

YZF-R125、MT-125、XSR125を各シリーズの入口に置き、そこから上位モデルへステップアップしていくバイクライフを提案していました。ヤマハ発動機株式会社

私には、この考え方はよく分かります。

125ccだから、アクセルをしっかり開けられる。

回転を使う。

ギアを選ぶ。

速度を落としすぎれば、立ち上がりでごまかせない。

ブレーキも、ラインも、コーナーのつなぎ方も考える。

大きなパワーで帳尻を合わせるのではなく、自分でバイクをきちんと走らせる。

これは、速く走れという話ではありません。

バイクを操るということを、小さい排気量の中でしっかり楽しめる。

そこに125ccスポーツの大きな意味があると私は思っています。

ところが販売している最中は、

「125なのに」

と見てしまう。

数年後、また同じことを言っていないだろうか

そして少し意地悪な想像をすると、

何年か先にYZF-R125やMT-125の中古車を見ながら、

「あれ、結構いいバイクだったよな」

「125でVVAまで付いて、ちゃんとした車体だったんだよな」

「今考えると、あれで練習したら面白かっただろうな」

「もうこういう125は出ないのかな」

なんて言っている人が増えているかもしれません。

さらに台数が少なくなれば、

中古価格まで妙なことになって、

「125なのに中古が高いな」

なんて言っているかもしれない。

もしそうなったら、WR250Rと同じですよね。

新車で売っている時には、

「125なのに高い」。

なくなった後には、

「125でよくここまで作った」。

また同じことを繰り返す。

私は、そこがちょっともったいないと思うんです。

名車は、なくなってから名車になるわけではない

考えてみれば当たり前の話です。

WR250Rは、生産終了した日に突然いいバイクになったわけではありません。

売っていた時から、あのエンジンで、あのフレームで、あのサスペンションでした。

昔のSRXも、TDRも、TRXも、その後になって突然いいバイクになったわけではありません。

良さは最初からそこにあった。

こちらが気づかなかっただけです。

だから、過去の絶版車を見て、

「あれは名車だった」

と語ることも楽しいのですが、

もっと大事なのは、その経験を今に使うことではないでしょうか。

今、普通に店頭にある。

まだメーカーから買える。

だから珍しくない。

だから後回しにする。

そういうバイクの中に、

10年後、

「あれは良かったな」

と言っている一台があるかもしれません。

なくなってからでは遅い

もちろん、だから人気のないバイクを買え、という話ではありません。

大型を買うな、という話でもない。

125に乗れ、という話でもありません。

自分が大型を欲しいなら、大型を買えばいい。

馬力が欲しいなら、それも立派な選ぶ理由です。

ただ、

「みんながそうしているから」

だけではなく、

そのバイクが何をするために作られているのか。

なぜ、この排気量なのか。

なぜ、この価格なのか。

なぜ、こんな車体なのか。

そして、それが自分のやりたいことに合っているのか。

そこまで一度見てほしいと思うんです。

なくなってから、

「ああ、そういうバイクだったのか」

と分かるのでは、少し遅い。

普通に手に入る時には欠点ばかり比較して、

なくなってから個性を褒める。

それを何度も繰り返しているのだとしたら、

そろそろ今あるバイクを、

「他より何が優れているか」

だけではなく、

「このバイクは何をするために生まれたのか」

という目で見てみてもいいのではないでしょうか。

名車は、なくなってから生まれるのではない。

おそらく最初から、そこにあります。

ただ、それが普通に買えるうちは、私たちが気づきにくいだけなのかもしれません。

皆さんにもありませんか。

販売していた頃はそれほど気にしなかったのに、今になって「いいバイクだったな」と思う一台。

逆に、世間ではそれほど評価されなかったけれど、自分にとっては最高だった一台。

そして今売られているバイクを見て、

「これ、なくなった後に評価されるんじゃないかな」

と思うもの。

そんな話も聞いてみたいですね。