安全運転「河野、お前、バイクは物理やぞ」――速さと安全を支えた先生の一言

中学校を卒業する前、担任の先生と進路について面談したことがあります。

「お前、将来はどうするんだ」

と聞かれ、私はたぶん、

「プロのライダーになる」

というようなことを答えたのだと思います。

こちらとしては、

「もう少し真面目に将来の仕事を考えろ」

とでも言われるのかと思っていました。

ところが先生は、いきなり、

「河野、お前、バイクは物理やぞ」

と言ったのです。

ちなみに、その先生は物理の先生でした。

予想していなかった言葉だったので、少し驚きました。

先生は、私の家業がバイク屋だということも、私がモトクロスをしていることも知っていました。だから、そういう言葉を選んだのかもしれません。

当時の私は、物理と聞いても難しい公式を思い浮かべたわけではありません。

ただ、「そうかぁ」と考えているうちに、モトクロスのジャンプが頭に浮かびました。

同じ速度で、同じ角度の斜面に入り、同じような姿勢で飛び出せば、バイクは毎回だいたい同じような軌道を描きます。

飛びすぎたり、届かなかったり、前上がりになったりするのなら、何かの条件が違っていたということです。

実際には、進入速度や飛び出し角度だけでなく、アクセルの開け方、サスペンションの沈み方と戻り方、ライダーの重心位置、路面の状態なども関係します。

それでも、同じ条件に同じ操作を加えれば、バイクは基本的に同じ反応を返します。

今になって考えると、先生の「バイクは物理やぞ」という一言は、ずいぶん本質を突いていました。

気合いや根性だけでは説明できない

当時のモトクロスには、

「アクセルは根性で開ける」

「怖がらずに思い切っていけ」

というような雰囲気もありました。

もちろん、レースでは気持ちの強さも必要です。怖さを乗り越えなければならない場面もあります。

しかし、気合いだけで物理法則を変えることはできません。

曲がれないのなら、根性が足りないのではなく、進入速度が高すぎるのかもしれません。

ジャンプが安定しないのなら、勇気が足りないのではなく、踏み切る速度や姿勢が毎回違っているのかもしれません。

フロントタイヤが滑るのなら、もっと頑張って押さえつけるのではなく、荷重のかけ方やブレーキの使い方が、タイヤの限界に合っていないのかもしれません。

「うまく乗れないのは、物理法則に反することをしようとしているからではないか」

そう考えられるようになったことが、その後のレースでも少しずつステップアップできた理由の一つだったのかもしれません。

同じ時代に走っていたライダーの中には、大きなけがによって、その後の生活まで変わってしまった人もいます。

私自身も転倒やけがは経験しました。それでも、この年齢まで大きな後遺症もなく、今もバイクに乗り続けられているのは、あのとき聞いた「バイクは物理」という考え方が、どこかで無理を止めてくれたからかもしれません。

物理を理解することは、速く走るためだけではありません。

自分とバイクの限界を知り、危険を減らすためにも役立つのだと思います。

モトクロスに限らず、すべてのバイクは物理で走っている

これはジャンプやレースだけの話ではありません。

公道を走るバイクも、スクーターも大型ツアラーも、同じ物理法則の中で動いています。

ここからは、バイクに乗るうえで知っておきたい物理的な原則を、身近な例にまとめてみます。

1.慣性と重さ――バイクは急には動きを変えられない

走っているバイクは、そのまま進もうとします。

ブレーキをかけても、バイクとライダーの身体は前へ進もうとします。カーブへ入っても、それまで進んでいた方向を保とうとします。

そのため、カーブの直前で慌てて操作しても、すぐには向きを変えられません。早めに減速し、車体を傾ける準備が必要です。

また、重いバイクほど動きを変えにくくなります。

大型バイクが落ち着いて感じられる一方で、止める、曲げる、起こすためには、より大きな力と時間が必要です。

タンデムや荷物の積載で総重量が増えれば、加速、減速、旋回のすべてが変わります。

「重いから安定している」というより、「重いから動きを変えにくい」と考えたほうが分かりやすいでしょう。

バイクは常に、少し先を考えて操作する乗り物なのです。

2.タイヤと路面――すべての力は小さな接地面を通る

バイクが加速できるのは、後輪が路面を後ろへ押し、その反作用として前向きの力を受けるからです。

ブレーキも旋回も同じです。

進む、止まる、曲がるというすべての力は、最終的にタイヤと路面との間でやり取りされています。

どれほど高性能なエンジンやブレーキがあっても、タイヤが路面へ力を伝えられなければ、その性能は発揮できません。

そして、タイヤが使えるグリップには限りがあります。

ブレーキをかければ減速するために、車体を傾ければ曲がるために、アクセルを開ければ加速するためにグリップを使います。

「タイヤのグリップには予算がある」と考えると分かりやすいでしょう。

ブレーキに多く使っているときは、旋回に使える余裕が少なくなります。深くバンクしているときは、加速に使える余裕も減っています。

だから操作は、急に切り替えるのではなく、滑らかにつないでいく必要があります。

3.速度の二乗――少し速いだけでも難しさは大きく増える

カーブで必要になる力や、走っているバイクが持つ運動エネルギーは、速度の二乗に大きく関係します。

速度が2倍になれば、同じ半径で曲がるために必要な力や、止めるために処理すべきエネルギーは、おおむね4倍になります。

ライダーには「いつもより少し速いだけ」と感じられても、タイヤやブレーキに求められる仕事は大きく増えているのです。

カーブの入口で速度が高すぎれば、より深くバイクを傾けるか、タイヤにより大きな旋回力を求めなければなりません。

しかし、バンク角にもグリップにも限界があります。

初めて走るカーブで入口速度を抑えることは、怖がっているのではありません。

物理的に正しい判断なのです。

4.荷重移動とサスペンション――操作は車体姿勢を変える

ブレーキをかけると荷重は前へ移り、フロントフォークが沈みます。

アクセルを開けると荷重は後ろへ移り、リアタイヤが駆動力を伝えやすくなります。

つまり、ブレーキやアクセルは、単に速度を変えるためだけの操作ではありません。

前後のタイヤに、いつ、どれだけ仕事をさせるかを決め、車体姿勢を作る操作でもあります。

ただし、急激に操作すれば、荷重も急激に移動します。

最初からフロントブレーキを強く握れば、タイヤへ十分な荷重がかかる前にロックさせる可能性があります。旋回中に急にアクセルを開ければ、フロント荷重が抜け、バイクが外へ膨らみやすくなります。

サスペンションは、こうした荷重変化を受け止め、その動く速さを整えています。

硬ければよい、柔らかければよいというものではありません。

タイヤを路面へ接触させ続け、ライダーが扱いやすい速さで荷重を動かすことが大切です。

5.身体の使い方――ハンドル、ステップ、タンクは力を伝える場所

バイクは、ある程度の速度では車体を傾けて曲がります。

右へ曲がるときには、右側のハンドルを前へ押します。すると前輪が一瞬左へ向き、車体は右へ傾き始めます。

多くのライダーは意識せずに行っていますが、これがカウンターステアです。

バイクは単純に、曲がりたい方向へハンドルを切る乗り物ではありません。

まず車体を傾け、その傾きに合わせて旋回する乗り物です。

また、ハンドル、ステップ、タンク、シートは、ライダーが車体へ力を伝える場所でもあります。

同じ力でも、どこを、どの方向へ押すかによって、バイクの反応は変わります。

上体だけを動かしてハンドルへしがみつくより、ステップやタンクで身体を支えたほうが腕の力を抜きやすくなり、フロントタイヤの動きも邪魔しにくくなります。

ライディングフォームは見た目の問題ではありません。

車体へ、どの方向から、どれだけの力を伝えるかという物理の問題なのです。

6.ジャンプ――空中よりも踏み切る前が大切

モトクロスのジャンプでは、飛び出したあとの大まかな軌道は、速度、飛び出し角度、重力によって決まります。

空中でアクセルやリアブレーキを使い、車体の前後姿勢を調整することはできます。

しかし、飛び出してしまったあとに着地点を大きく変えることはできません。

だからジャンプは、空中でどうにかするのではなく、踏み切る前に速度、ライン、姿勢を整えることが重要です。

同じ速度、同じ角度、同じ姿勢で飛び出せば、バイクは基本的に同じ軌道を描きます。

中学生だった私が「バイクは物理やぞ」と言われて、最初に思い浮かべたのも、このジャンプのことでした。

物理を知ることは、公式を計算しながら乗ることではない

バイクに乗りながら数式を計算する必要はありません。

大切なのは、

「この操作をしたら、なぜバイクがこう動いたのか」

を考えられることです。

ブレーキをかけたら、なぜ曲がりにくくなったのか。

アクセルを開けたら、なぜ外へ膨らんだのか。

少し速度が上がっただけで、なぜ急に怖くなったのか。

なんとなく乗っていても、経験によってある程度は上達します。

しかし、うまくいった理由が分からなければ再現できません。失敗した理由が分からなければ、次に何を変えればよいのかも分かりません。

物理的に考えられるようになると、

進入速度が高すぎた。

ブレーキを急に離した。

向きが変わる前にアクセルを開けた。

荷重がかかる前に強い操作をした。

タイヤに多くの仕事を同時に求めすぎた。

といった原因が見えてきます。

「自分にはセンスがない」

「もっと根性が必要だ」

で終わらせず、操作と結果を結びつけられるようになるのです。

上手な人ほど、物理に逆らわない

上手なライダーは、物理法則を超えて走っているわけではありません。

むしろ、物理に逆らわず、その力を上手に利用しています。

タイヤに荷重がかかってからブレーキを強める。

曲がりやすい姿勢を作ってから寝かせる。

向きが変わってからアクセルを開ける。

タイヤにさせる仕事を、急に切り替えず滑らかにつないでいく。

ジャンプでは、空中で慌てるのではなく、踏み切る前に条件を整える。

それを何度も繰り返すうちに、やがて頭で考えなくても身体が反応するようになります。

感覚で乗っているように見える人も、その感覚の中には、長年積み重ねてきた物理の理解が含まれているのでしょう。

中学生だった私に先生が言った、

「河野、お前、バイクは物理やぞ」

という一言。

あれから長い時間がたちましたが、バイクに乗れば乗るほど、その言葉の意味が分かるような気がします。

バイクは感覚で乗るものです。

しかし、その感覚の下では、慣性、摩擦、荷重移動、運動エネルギーなど、さまざまな物理法則が働いています。

気合いや根性が必要な場面はあります。

けれど、気合いで物理をねじ伏せることはできません。

今、タイヤに何をさせているのか。

車体にどのような力がかかっているのか。

うまくいかないのは、本当に勇気や才能が足りないからなのか。それとも、物理に反する操作をしようとしているからなのか。

そう考える習慣を持つことが、速く走るためにも、安全に長く乗り続けるためにも、大切なのではないでしょうか。