ギネスブックに載るバイクの世界記録

バイクの世界記録というと、まず思い浮かぶのは最高速かもしれません。
どれだけ速く走れるのか。
何キロ出せるのか。
人間がバイクでどこまでスピードを出せるのか。
もちろん、それもバイクの世界記録のひとつです。
しかしギネスブックを見てみると、バイクに関する記録はそれだけではありません。
ウイリーでどれだけ長い距離を走れるか。
バイクでどれだけ長い旅をしたか。
どれだけ大きなバイクを作ったか。
逆に、どれだけ小さなバイクを実際に走らせたか。
そんな、少し変わった記録もたくさんあります。
その中に、日本人ライダーの記録があります。
工藤靖幸さん。
ホンダTLM220Rで、331kmもの距離を前輪を上げたまま走った、連続ウイリーのギネス記録を持つ方です。
331kmです。
普通のライダーなら、数メートルでも怖い。
少し長くできる人でも、数百メートルや数キロで十分すごい世界です。
それを331km。
これはもう、曲芸というより、集中力、体力、機械の扱い、そして精神力まで含めた、とんでもない記録だと思います。
あのアロンアルフアのCMの人
そして工藤さんといえば、ある世代の方には、あのアロンアルフアのCMでトライアル車を操っていた人、と言った方が伝わるかもしれません。
トライアル車で、あり得ないような動きを見せるあのCMです。
テレビの中で見ていた人。
ギネスブックに名前が載る人。
普通に考えれば、自分とは遠い世界の人です。
ところが、実はその工藤さんと、決勝で戦ったことがあります。
たぶん1995年だったと思います。
今から31年前。
私が25歳くらいの頃の話です。
場所はオートポリスのヒルクライム大会でした。
思っていたヒルクライムとは違った
実は、最初にエントリーした時、私はヒルクライムというものを少し勘違いしていました。
ヒルクライムと聞いて思い浮かべたのは、アメリカあたりで行われている、スイングアームをめちゃくちゃ長くした専用車で急斜面を一気に駆け上がるような競技です。
登り切ることを前提に、いかに速く頂上まで行くか。
そういうタイムレースのようなものを想像していました。
ところが、実際に参加してみると少し違いました。
タイムを競うというより、どこまで登れたかを競うルールだったのです。
参加したあとで、
「えっ? ああ、そういう競技なの?」
という感じでした。
完登できればもちろんそれが一番です。
でも、登り切れなければ、止まった場所、転んだ場所がその人の記録になります。
つまり、速く登るのではなく、最後にどこまでバイクを運べたか。
そこが勝負でした。
考えてみれば、これはかなり面白いルールです。
速さだけなら、馬力や助走や加速が大きく効きます。
でも「どこまで登れるか」になると、最後の粘り、タイヤの食いつき、路面との相性、そして止まらないための割り切りが大きくなります。
トライアルの人が出るの? 勝ち目なくない?
そして、エントリーしている人たちを見ると、トライアル系の人たちもいました。
正直、その時は思いました。
「トライアルの人が出るの? それ勝ち目なくない?」
坂を登る。
足場の悪いところを進む。
バランスを取りながら、タイヤを食わせる。
そう聞けば、どう考えてもトライアルの人が強そうです。
しかも相手は工藤靖幸さんです。
あのアロンアルフアのCMの人であり、連続ウイリーのギネス記録を持つ人。
普通に考えれば、こちらが勝つ姿は想像しにくいわけです。
でも実際には、競技のルールとその日の坂の条件が、勝負をまったく違うものにしました。
完登できるかどうか。
できなければ、どこまで登れたか。
そしてその坂は、軟質で草が生え、トライアルタイヤがじわっと食うというより、モトクロスタイヤで掻いて、勢いで押し切る方が合う路面でした。
つまり、最初に私が思った、
「トライアルの人が出るなら勝ち目がない」
という予想は、半分は正しくて、半分は違っていたのです。
トライアル的な技術勝負なら、まず勝てない。
でも、その日のヒルクライムは、純粋なトライアルではありませんでした。
ヒルクライムを題材にした異種格闘技戦
今思えば、あれはヒルクライムを題材にした、バイクの異種格闘技戦だったのだと思います。
トライアルの技術。
モトクロスの勢い。
トライアルタイヤ。
モトクロスタイヤ。
低速でグリップを探る走りと、全開でぶち当たる走り。
同じ「坂を登る」という行為でも、考え方はまったく違います。
トライアルは、グリップを探しながら、バイクを正確に置いていく世界です。
足場の悪い場所で、どこにタイヤを置くか。
どの瞬間に荷重をかけるか。
低速でもバランスを崩さず、精密に進んでいく。
一方でモトクロスは、ある程度のスピード、馬力、タイヤの掻き、そして勢いを使います。
路面を壊しながらでも前に進む。
多少姿勢が乱れても、アクセルを開けて抜けていく。
どちらが上という話ではありません。
まったく違う武器を持ったライダー同士が、同じ坂に挑む。
そういう勝負でした。
私の武器はYZ250と軟質タイヤ
私のバイクはYZ250。
45馬力ほどの2ストロークモトクロッサーです。
今の4ストロークモトクロッサーとはまた違う、軽くて、反応が鋭くて、パワーの出方も荒い時代の2ストです。
なんとなくフロントヘビーな印象のある車体で、そこにブロック山の高い軟質タイヤを履かせていました。
このタイヤが、その日の条件には非常に合っていました。
一方、工藤さんはトライアルレギュレーションのバイク。
タイヤもトライアルタイヤです。
トライアルタイヤにはトライアルタイヤの強さがあります。
岩や根っこ、硬い路面、低速でじわっとグリップを出す場面では、本当に強いタイヤです。
ただ、その日の決勝の坂は、めちゃくちゃ軟質で、草の生えまくった土質でした。
柔らかくて、表面が逃げる。
草もある。
タイヤが地面をつかみにくい。
そういう路面では、トライアル的に繊細にグリップを探るより、モトクロッサーで勢いをつけ、ブロックタイヤで路面を掻きながら突っ込む方が合っていたのだと思います。
その日の坂は、たまたまモトクロッサーの武器が生きる条件だったのです。
「決勝も全開でいくの?」
周りのトライアル関係の方たちは、私が勝つとは思っていなかったようでした。
無理もありません。
相手は工藤靖幸さんです。
トライアルの世界の人であり、あのCMの人であり、ギネス記録の人です。
普通に考えれば、坂を登る勝負でその方が負けるとは思わないでしょう。
私が予選から勢い任せに全開で突っ込むものですから、
「決勝も全開でいくの?」
と声をかけられました。
でも、こちらとしては他に方法がありません。
丁寧にグリップを探るような技術で勝負すれば、工藤さんにかなうはずがありません。
トライアル的な技術で戦えば、勝負にならない。
ならば、自分の持っている武器で戦うしかない。
自分にできることはひとつでした。
坂の手前まで全開で行って、ぶち当たるように突っ込む。
それで何とかなるんじゃないか。
頭の中で考えていたのは、それだけです。
もちろん、きれいな作戦ではありません。
理屈として正しいかどうかもわかりません。
でも、若かったですし、YZ250でしたし、路面は柔らかい。
そしてこちらには、ブロック山の高い軟質タイヤがある。
全開で行くしかありません。
坂の入り口で、正面衝突したような衝撃
工藤さんはトライされたものの、タイヤが路面をかかないのか、途中で止まってしまいました。
いよいよ自分の番です。
坂の入り口に向かって、全開で加速していきます。
その瞬間のことは、今でも覚えています。
坂の入り口に入った瞬間、まるで車と正面衝突したような衝撃がありました。
ただ坂に入っただけなのに、バイクが前に進む力を、一気に上方向へ変えられる。
地面にぶつかったような、壁にぶつかったような、そんな衝撃です。
当然、バランスは崩れます。
きれいに登るとか、フォームがどうとか、そんな余裕はありません。
でも、そこでアクセルを戻せば終わりです。
止まれば、もう再スタートできるような坂ではありません。
とにかく前へ。
バイクにしがみつくようにして、なんとか持ちこたえながら登りました。
フロントが暴れる。
リアが掻く。
体は遅れる。
でもアクセルは戻せない。
戻した瞬間に終わるからです。
完登ではなく、転んだ場所が決勝点
完登、とまではいきませんでした。
最後は転びました。
ただ、その転んだ場所が、工藤さんより上でした。
結果、その地点が私の決勝点になり、その時は私が勝たせていただくことになりました。
繰り返しますが、これは私が工藤さんより上手かったという話ではありません。
むしろ、まともに技術で勝負すれば勝てる相手ではありません。
あの日の坂に、たまたま私のバイク、タイヤ、走り方が合っていた。
それだけです。
勝敗を分けたのは、腕だけではありません
でも、そこがバイクの面白いところでもあります。
速い人、上手い人が、いつも同じように勝つとは限りません。
路面。
タイヤ。
車両。
馬力。
レギュレーション。
そして、その場で何を選ぶか。
それらが噛み合った時に、思いがけない結果が出ることがあります。
トライアルにはトライアルの強さがあります。
モトクロスにはモトクロスの強さがあります。
硬い岩場なら、まったく違う結果になったかもしれません。
低速で正確にラインを刻む勝負なら、私に勝ち目はなかったと思います。
でも、あの日のオートポリスの坂は、軟質で、草が生えていて、勢いとブロックタイヤが生きる坂でした。
その日だけは、条件がこちらに味方したのです。
バイクの世界には、そういう不思議な面白さがある
ギネスブックに載るような人と、地方の大会で同じスタートラインに立つ。
テレビCMの中で見ていた人と、同じ坂に向かう。
そしてその日だけは、条件がこちらに味方する。
31年前の話ですが、今でもよく覚えています。
バイクの世界には、そういう不思議な面白さがあります。
どれだけすごい人でも、道具と条件が変われば勝負の形は変わる。
そして、たまたま自分の持っているものが、その場所に合う日がある。
ヒルクライムを題材にした、トライアル対モトクロスの異種格闘技戦。
今思い返しても、あれは本当に面白い一戦でした。
