
若いライダーの事故を見聞きしていると、ときどき、
「なぜ、そこでそんなことをしたんだろう?」
と思うことがあります。
明らかに速度が高すぎる。
そこで追い越さなくてもいいのに追い越す。
仲間と一緒になって、普段ならやらないようなことをする。
もちろん、事故にはそれぞれ事情があります。
「若い人は危ない」と決めつけるつもりもありません。
私自身、若い頃を振り返れば、
「よくあんなことをやっていたな」
と思うことはいくらでもあります。
だからこそ気になったのです。
若い頃というのは、そもそも「危険」をどう感じているのだろう、と。
■ 仲間がいると、本当にリスクを取りやすくなるのか
これについては興味深い実験があります。
13〜16歳、18〜22歳、24歳以上の計306人を対象にした研究では、ひとりで課題を行う場合と、同年代の仲間2人と一緒に行う場合を比較しています。
すると仲間がいる場合には、ひとりのときよりリスクを取りやすくなり、危険な行動の「悪い結果」よりも「得られるメリット」に意識が向きやすくなりました。
そして、その影響は大人よりも10代や若者で強く出ています。
別の研究では、シミュレーター上の運転課題を使って脳の活動まで調べています。
若い参加者では、仲間に見られていると報酬に関係する脳領域の反応が強まり、それがリスクを取る行動と関連していました。
つまり、
「仲間にウケる」
「すごいと言われる」
「ここでやったら格好いい」
ということは、単なる気分の問題ではなく、若い時期ほど行動に影響しやすい可能性があるようです。
■ 「まさか自分が」は、本当にあるらしい
もう一つ興味深いのが、
「自分は大丈夫」
という感覚です。
17〜25歳の若いドライバー243人を調べた研究では、自分は同年代より運転が上手く、事故にも遭いにくいと考える「楽観バイアス」が確認されています。
また16〜29歳の314人を調べた研究でも、自分の運転能力や慎重さを同年代より高く評価する傾向と、「自分は事故に遭いにくい」という認識との関係が確認されています。
もちろん、これらは主として自動車運転についての研究です。
若いバイク乗りが全員そうだ、という話ではありません。
ただ、人間には、
「事故は起きるかもしれない。でも、自分には起きないだろう」
と考えてしまう傾向が確かにある。
そこへ、
「仲間にウケる」
という目の前の具体的なメリットが加わる。
すると、
「救急車で運ばれる自分」
「一生残る怪我をする自分」
「死んでしまう自分」
より、
数秒後に仲間が盛り上がる姿のほうが、ずっと現実的に感じられることがあるのかもしれません。
■ 転んだことがないと、「転ぶ」の中身が分からない
さらに私は、自分の経験からもう一つ思うことがあります。
それは、
「転んだ痛みを知らない」
ということです。
私はモトクロスで何度も転びました。
転ぶことを勧めたいわけではありません。
できることなら転ばないほうがいい。
でも、実際に転ぶと分かることがあります。
たいした速度ではないと思っていても、痛い。
土の上でも痛い。
ちょっと飛びすぎただけでも怖い。
少し判断を間違えただけで、
「今の、もう少し悪かったら危なかったな」
と思うことがあります。
そんな経験を繰り返していると、
「この程度でもこれだけ痛いのなら、その先は気軽に試すものではない」
という感覚が少しずつ身体に入ってきます。
言ってみれば、
「痛みの物差し」
「怖さの物差し」
ができてくる。
■ 昔は大きなバイクに行くまでに、いくつか階段があった
私が若かった頃、大型バイクへ行くハードルは今より高いものでした。
まず小さなバイクに乗る。
250ccに乗る。
400ccに乗る。
そこで何年か経験してから大型へ行く。
もちろん全員がそうだったわけではありませんが、結果として、途中にいくつもの「経験の階段」があったように思います。
しかも昔のバイクは、今ほど車体性能も高くありません。
タイヤも今ほどグリップしない。
ブレーキも今ほどよく効かない。
サスペンションも違う。
フレームや車体の安定性も今とは違う。
電子制御などありません。
だから少し無理をすると、
滑る。
振られる。
止まらない。
曲がらない。
そういうことが比較的早い段階で起きました。
昔のバイクのほうが良かったと言いたいのではありません。
安全性でいえば、今のほうがはるかに優れています。
ただ昔は、
「これ以上はちょっとまずいぞ」
と、バイクのほうから早めに教えられる場面が多かったように思うのです。
■ 今のバイクは、本当に良くできている
では今のバイクはどうでしょう。
フレームや車体は進化し、非常に安定しています。
エンジンも扱いやすくなり、アクセル操作に対するドライバビリティも良くなりました。
トラクションコントロールなどの電子制御もある。
タイヤも進化した。
サスペンションも進化した。
ブレーキも進化した。
ABSもあります。
ABSについては実際に安全効果が確認されていて、米国の研究では、同じモデル同士を比較した場合、ABS装着車は非装着車より死亡事故への関与率が22%低かったと報告されています。
つまり、今のバイクが安全になったこと自体は間違いなく良いことなのです。
■ でも「安全に走れている=自分が上手い」ではない
問題はここからです。
今のバイクは、多少操作を間違えても、かなりのところまで破綻せず走らせてくれます。
少々強くブレーキをかけてもABSが助けてくれる。
少々乱暴にアクセルを開けてもトラクションコントロールが助けてくれる。
高速でも車体は安定している。
タイヤもしっかりグリップする。
サスペンションもしっかり仕事をする。
すると、
「自分、結構乗れてるな」
と思いやすい。
でも実際には、
「自分が上手く処理した」のではなく、
「バイクが破綻させなかった」
という部分もあるかもしれません。
ここを勘違いすると怖いのです。
■ 今のバイクの怖さは、「危ないと感じないまま危ないところまで行ける」こと
昔なら、もっと手前で、
「怖い」
と思っていた。
車体が振られる。
タイヤが滑る。
ブレーキが頼りない。
そこで、
「ここから先はやめておこう」
となる。
ところが今のバイクは、そのかなり先まで何事もなく連れていってくれます。
100km/hでも安定している。
それ以上でも安定している。
強く加速しても怖さが少ない。
ブレーキもよく効く。
つまり、
自分を死に至らせる可能性のある領域まで近づいているのに、
本人にはその実感があまりない。
私は、これが今のバイクの怖さの一つではないかと思っています。
■ 「怖い目に遭っていない=余裕がある」ではない
人間側の経験が増える速度より、
バイクの性能に到達する速度のほうが、はるかに速い。
免許を取って間もなくても、
100馬力。
150馬力。
それ以上のバイクに乗ることもできます。
そして今のバイクは、それをかなり扱いやすくしてくれています。
だから、
怖くない。
普通に曲がれる。
普通に止まれる。
何も起こらない。
しかし、
「何も起こっていない」
ことと、
「自分に十分な余裕がある」
ことは同じではありません。
■ 今のバイクは、何かが起こるまでは非常に丁寧に扱ってくれる
ここが、私には一番怖く感じます。
今のバイクは、
何かが起こる直前までは、
本当に丁寧にライダーを扱ってくれます。
車体が助ける。
タイヤが助ける。
サスペンションが助ける。
ブレーキが助ける。
電子制御が助ける。
そのおかげで、昔なら怖かった領域でも、何事もなく走れてしまう。
ところが最後の一線を越えた瞬間、
突然、
「ここから先は物理です」
となる。
■ 地面は昔と同じ硬さです
安全装備は進化しました。
ヘルメットやプロテクターも進化しています。
救急医療も進歩しています。
でも、
地面が柔らかくなったわけではありません。
ガードレールが身体に優しくなったわけでもありません。
走っている車に身体がぶつかったときの衝撃がなくなったわけでもありません。
人間の身体が、昔より衝撃に強く進化したわけでもありません。
バイクは事故になる直前までは昔よりずっと助けてくれる。
でも、
事故を起こしても大丈夫な乗り物になったわけではないのです。
■ だから、いきなり大きな結果になることがある
昔なら、
滑った。
転んだ。
痛かった。
怖かった。
そこで、
「これはまずい」
と学ぶことができた場面もありました。
でも、今はバイクがそこをかなり上手に助けてくれる。
小さな失敗を経験しないまま、
もっと速い領域まで行けてしまう。
そして初めて大きく失敗したときには、
速度もエネルギーも大きい。
その一回で大怪我をする。
その一回で後遺症が残る。
場合によっては、
その一回で命を失う。
「何回か失敗して覚えればいい」
では済まない。
最初の大きな失敗が、最後の失敗になることがある。
これがバイクなのです。
■ ゲームならリセットできる。でもバイクは違う
ゲームなら、
やってみる。
失敗する。
リセットする。
もう一度やる。
これは普通のことです。
むしろ、失敗しながら上達するための良い仕組みです。
でも、公道のバイクで、
「この速度で曲がれるかな」
「ここを抜けられるかな」
「このタイミングで行けるかな」
を同じ感覚で試すことはできません。
失敗したら、もう一回。
とはならないことがあるからです。
■ SNSで事故まで「ネタ」になる時代だからこそ
転倒したバイクの写真をSNSに載せているのを見ることがあります。
もちろん、事故報告や反省、注意喚起として投稿している人もいます。
ですから、それ自体を否定するつもりはありません。
ただ、
「やっちまった」
「派手にいった」
「いいネタになった」
と、事故そのものまで仲間内で少し“おいしい出来事”になってしまったとしたら、私は少し怖いと思います。
仲間にウケる未来は想像しやすい。
でも、
その数秒後に自分が道路に倒れている未来。
救急車で運ばれている未来。
家族に連絡が入る未来。
一生残る怪我をしている未来。
自分がいなくなったあとの未来。
そこまでは、なかなか現実感を持って想像できないのかもしれません。
■ 免許を取ったことと、危険を理解したことは別
免許を取れば、公道を走る資格は得られます。
でも、
免許を取ったことと、
バイクの危険を理解したことは別です。
私は免許取得というのは、
完成ではなく、
「ここから経験を積み始めるスタート地点」
くらいに考えたほうがいいと思っています。
車の動きを読む。
危険を予測する。
逃げ場を作る。
無理をしない。
そして、
行けると思っても、あえて行かない。
そういう判断を何年もかけて身につけていく。
■ 上手くなるとは、「できること」が増えるだけではない
若い頃は、
速く走れる。
深く寝かせられる。
追い越せる。
ギリギリまでブレーキを遅らせられる。
そういう「できること」が増えると、上手くなったと思いがちです。
でも経験が増えてくると、
もう一つの上手さがあることに気づきます。
「できるけど、やらない。」
追い越せるけど、やめておく。
曲がれると思うけど、少し速度を落とす。
行けそうだけど、行かない。
迷ったら退く。
これも立派なライディング技術だと思います。
■ バイクは優しくなった。でも、物理は優しくなっていない
今のバイクは、本当に安全になりました。
その進化を否定するつもりはまったくありません。
むしろ安全装備は、もっと進化してほしい。
ただ、
安全に走れていることと、
自分が危険を理解していることは別です。
バイクが助けてくれている範囲と、
自分の技量で処理できている範囲も、
必ずしも同じではありません。
そして最後に、
人間の身体が地面や車やガードレールにぶつかるという現実は残っています。
今のバイクは、
危険なところへ行くまでを、
昔よりずっと優しくしてくれました。
だからこそ、
どこから先が自分の命を奪う領域なのか、
分かりにくくなっているのかもしれません。
私は、そこが怖いのです。
■ 怖がって乗れ、という話ではありません
バイクを怖がって乗れ、と言いたいわけではありません。
バイクは楽しい乗り物です。
操る楽しさがある。
遠くへ行ける。
景色が変わる。
仲間もできる。
人生を豊かにしてくれる乗り物だと思います。
だからこそ、長く乗ってほしい。
そのために必要なのは、
「怖がること」ではなく、
「怖さを知らないまま乗らないこと」
だと思います。
大きな失敗をしてから知るのでは遅いことがあります。
人の失敗から学ぶ。
経験者の話を聞く。
小さな違和感を軽く見ない。
自分の能力を過信しない。
そして、
バイクが助けてくれていることを忘れない。
今のバイクは、昔よりずっと優しくなりました。
でも、
物理は優しくなっていません。
そのことだけは、
どれだけバイクが進化しても忘れてはいけないと思います。

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