
バイクレースというと、コース上でのバトルや、派手なジャンプ、スタートの迫力、表彰台のような場面を想像される方が多いと思います。
もちろん、それもレースの一部です。
でも、10代から30代くらいまでモトクロスをやってきた自分の感覚でいうと、レースのリアルは、コースを走っている時間だけではありませんでした。
むしろ、スタートラインに並ぶまで。
そして走り終わってから店に帰るまで。
そこまで全部がレースでした。
九州から全国へ。移動からすでにレースは始まっていた
当時は、2週間に一回くらいのペースで全国遠征をしていました。
九州からハイエースにバイクと荷物を積んで、全国の会場へ向かいます。
これは地方選手権ではなく、全日本選手権の話です。
九州から関東、東北、北海道方面まで全部を陸送で走るのは、さすがにきつすぎます。
移動だけで体力を使い切ってしまえば、肝心のレースになりません。
だから、移動でできるだけ体力を残すために、フェリーもよく使っていました。
大阪から北へ向かう時は、フェリーで神戸まで行き、そこから走るような形です。
少しでも寝られる時間を作る。
少しでも体を休めて、現地に入る。
それもレースでちゃんと走るための段取りでした。
一度、宮城県のSUGOまで、ひとりで運転して行ったことがあります。
九州から陸送で東京を抜けて、宮城まで走る。
今考えても、かなり無理があります。
その時は、あまりにもきつすぎたのか、お腹を壊してしまいました。
レース当日は脱水状態のようになっていて、走りも最悪とまでは言いませんが、まったくぱっとしなかった記憶があります。
その時に痛感しました。
長距離遠征というのは、ただ現地に着けばいいわけではない。
会場に着いていても、体が終わっていたらレースにはならない。
バイクが準備できていても、ライダーが消耗しきっていたら、本来の力は出せません。
これは一般のツーリングでも同じだと思います。
目的地に着くことと、目的地でちゃんと楽しめる状態で着くことは違います。
余裕を残して走る段取りも、バイクに乗る技術の一部なのだと思います。
北海道遠征は、だいたい1週間
北海道のレースとなると、だいたい1週間くらいは必要でした。
九州から北海道ですから、今考えても簡単な遠征ではありません。
移動だけでも相当な時間がかかりますし、バイク、工具、部品、装備を積み込んで、フェリーも使いながら現地へ向かう。
レースをする本人も大変ですが、よく考えると、その間、店の仕事はどうしていたのかという話です。
当時は、うちの親も一緒に遠征について来ていました。
ということは、その間、お店を守ってくれていたスタッフがいたわけです。
今、自分が店を運営する立場になって考えると、これは本当に大変だったと思います。
店には毎日、お客様が来られます。
修理の相談もある。
部品の注文もある。
納車の準備もある。
電話も鳴る。
急なトラブルもある。
社長や家族がレースで1週間近く不在となれば、残されたスタッフにはかなりの負担がかかっていたはずです。
当時の自分は、そこまで深く考えられていなかったかもしれません。
「レースに行く」
「勝ちたい」
「少しでも速くなりたい」
その気持ちが中心でした。
でも、店をやりながらレースをするということは、自分ひとりの情熱だけで成り立っていたわけではありません。
親が一緒に来てくれた。
店を守ってくれたスタッフがいた。
ピットで動いてくれる人がいた。
その全部の上に、自分はスタートラインに立っていたのだと思います。
会場に着いたら、そこが生活拠点になる
レース会場には、木曜日の夜に到着することが多かったです。
着いたら、その日はそこで一晩過ごします。
翌日の金曜日は設営をして、歩いてコースを下見します。
そして土曜日には、もう予選があります。
つまり、観光に来ているわけではありません。
会場に着いた時点で、もうレースの流れの中に入っています。
パドックの場所を決めたら、そこが数日間の生活拠点になります。
今風に言えば、「ここをキャンプ地とする」という感じです。
当時はハイエースの車体にテントを固定できるようにしていました。
ですから一度テントを張ると、車を動かすのが大変です。
お風呂に入りたいので、近くに入浴施設がある時は車を動かすこともありました。
でも基本的には、あまり動かしたくない。
一度パドックを作ったら、そこが整備場であり、食事場所であり、休む場所であり、数日間の生活場所になります。
食事は、カップラーメン、レトルトのカレー、牛丼、中華丼のようなものが多かったです。
ガソリンの発電機を持って行っていたので、それで炊飯器を使ってご飯を炊く。
湯沸かしポットでレトルトを温める。
そのお湯でカップラーメンを作る。
だいぶ後になってからは、電子レンジを持って行くようにもなりました。
今思えば、それだけでもかなり便利になった感覚がありました。
とはいえ、基本はレース会場のパドックで食べる簡単な食事です。
外食を楽しむというより、限られた時間と道具で、とにかく体を動かせるように食べる。
今思えば、かなり簡素な食事です。
でも、それが普通でした。
バイクを走らせる前に、まず自分たちがそこで数日間過ごせる状態を作る。
それもまた、レースの一部でした。
ホテルではなく、ハイエースで寝る
寝るのは、もちろんホテルではありません。
基本はハイエースの中で車中泊です。
寝袋を持って行って、それに入って寝ていました。
春でも、場所や時期によっては夜はかなり寒いです。
どうしても耐えきれない時は、エンジンをかけてヒーターをつけてしのいでいました。
逆に夏は暑い。
車の中は熱がこもります。
昼間の熱気が残って、夜になってもなかなか涼しくならない。
そういう中で、どうにか体を休めるしかありません。
レース前というと、緊張して眠れないのではないかと思われるかもしれません。
でも、自分の場合は少し違いました。
もちろん緊張はあります。
不安もあります。
明日の予選はどうなるのか。
スタートは決まるのか。
コースに対応できるのか。
そういうことは頭にあります。
でも現実には、夜9時くらいにはもう寝ていました。
疲れていたのもあると思います。
それに、今思えば現実逃避のような部分もあったのかもしれません。
起きていても、レースのことを考えてしまう。
不安になる。
余計なことまで考える。
だったら、もう寝るしかない。
寝る時には、よくこう思っていました。
「明後日には、もうレースは終わっているんだな」
「そこまで頑張ればいいんだな」
楽しみに来ているはずなのに、どこかで早く終わってほしいと思っている。
でも逃げたいわけではない。
やるしかないことはわかっている。
その矛盾した気持ちも、レースのリアルでした。
レースの朝は、パドックの音で始まる
レースの朝は早いです。
自分が早く起きようと思っていなくても、自然と目が覚めます。
なぜかというと、まわりが起き出すからです。
まだ薄暗い時間から、あちこちで人の気配がし始めます。
車のドアが開く音。
荷物を降ろす音。
工具箱を開ける音。
発電機がかかる音。
一台、また一台と発電機の音が増えていく。
コース下見に行く人の声も聞こえてきます。
ハイエースの中で寝袋に入っていても、もう寝ていられる空気ではありません。
パドック全体が、少しずつレースモードに変わっていくのです。
レースの朝というのは、気持ちよく起きる朝というより、逃げ場がなくなっていく朝です。
昨日までは少し先のことだったレースが、朝になると一気に目の前に来る。
その音で、自分も起きる。
そして、もう今日から勝負が始まるんだと腹をくくるわけです。
受付、車検、設営。走る前から慌ただしい
前泊で会場に入れていれば、まだ余裕があります。
木曜日の夜に到着して、金曜日に設営して、コースを歩いて見て、土曜日の予選に備える。
そういう流れなら、慌ただしい中にも少しは段取りを組む余裕があります。
でも仕事の事情で、当日の朝に会場へ入ることも何度かありました。
そうなると、一気に慌ただしくなります。
会場に着く。
パドックを決める。
バイクを降ろす。
テントを立てる。
荷物を出す。
受付に行く。
車検を受ける。
バイクの最終確認をする。
これを限られた時間の中でやらなければいけません。
しかもライダーは、コースを見ていないと話になりません。
モトクロスのコースは、ただ形を知っていればいいわけではありません。
どこにワダチができそうか。
どこが滑りそうか。
どのジャンプが難しそうか。
どこで抜けそうか。
どこで無理をすると危ないか。
実際に走る前に、歩いて見ておかなければならないことがたくさんあります。
だからピットクルーの人は、受付や車検、整備、設営を進めながら、
「こっちはやっておくから、とっととコース見てこい!」
という感じになります。
これは本当にありがたいことでした。
ライダーが今やるべきことは何か。
チームとして何を優先するべきか。
それをわかってくれている人がいたから、こちらはコースを見ることに集中できたのだと思います。
全日本は、初めてのコースに短時間で答えを出す場所
地元のコースや、何度も練習したことのあるコースであれば、ある程度は頭に入っています。
このジャンプはこう飛ぶ。
このコーナーはこう入る。
この場所は荒れやすい。
この土質ならこう走る。
そういう経験値があります。
でもこれは、地方選手権の話ではありません。
全日本選手権の話です。
九州から全国を転戦するとなると、普段ほとんど走れていないコースもあります。
土質も違う。
ジャンプの作りも違う。
コースのリズムも違う。
特に考えるのはジャンプです。
距離のあるジャンプ。
角度が変なジャンプ。
踏切と着地の向きが素直ではないジャンプ。
飛んだ先が見えにくいジャンプ。
ただ勢いで行けばいいわけではありません。
どのギアで入るのか。
どれくらいアクセルを開けるのか。
フロントが上がりすぎたらどうするのか。
ショートした場合にどこへ落ちるのか。
走る前に、かなり考えます。
土質も大きいです。
砂。
黒土。
水を含むと重くなる土。
乾くと滑る土。
普段あまり走れていない土質だと、それだけで乗り方もラインも変わります。
そして相手は、全国から来ている速いライダーたちです。
「ちょっと様子を見ながら走ろう」では、もう遅い。
予選の時点で、ある程度の答えを持っていないと上位には行けません。
これは、たとえるならカラオケ大会の課題曲のようなものです。
会場に行ってから、
「今回の課題曲はこれです」
と言われて、
「ええっ、まさかこの曲?」
となるような感覚です。
得意な曲ばかりではありません。
キーが合わないかもしれない。
テンポが独特かもしれない。
歌い出しが難しいかもしれない。
でも本番は待ってくれません。
全日本のコース下見というのは、それに近い緊張感がありました。
速く走れるだけでは足りない。
知らないコースを短時間で読み、答えを出す力まで含めて競われていたのだと思います。
全国遠征でも、旅行ではなかった
全国を転戦していたと言うと、よく誤解されることがあります。
「宮城のSUGOに行ったなら、牛タン食べたんですか?」
「北海道まで行ったなら、カニとか食べるんでしょう?」
そんなふうに言われることがあります。
でも、実際にはそんな余裕はほとんどありませんでした。
こちらは仕事を置いてレースに来ています。
レースで勝とうが負けようが、終わったら帰らなければいけません。
観光をするために行っているわけではありません。
会場直行、そして即直帰です。
SUGOに行ったからといって、仙台の街で牛タンを食べているわけではない。
北海道に行ったからといって、カニを食べて観光しているわけでもない。
あるのは、会場へ向かう道。
パドックの空気。
朝の寒さ。
土の色。
コースの匂い。
帰り道の疲れ。
サービスエリアで食べる簡単な食事。
フェリーの中で少しでも体を休めようとする時間。
そんなものです。
でも、今になって思うと、だからこそ自分の中には、その地方のリアルな雰囲気が残っているのかもしれません。
観光パンフレットに載っているような風景ではなく、レースに行く人間として通った土地の記憶です。
その土地の名物を食べたかどうかより、
その土地の朝の空気や、土の匂いや、帰り道の重さの方が、自分の中には残っています。
予選落ちの帰り道
全日本ですから、土曜日には予選があります。
ランキングを争うライダーとして、予選で落ちるというのは本来あってはならないことです。
もちろん、全日本は簡単ではありません。
全国から速いライダーが集まってくる中で、誰でも通れるほど甘い世界ではない。
それでも、自分の中では「落ちてはいけない」という気持ちがありました。
もし予選で落ちてしまったら、その時点でレースは終わりです。
そうなると、すぐに撤収です。
テントを外す。
荷物を積む。
バイクを積む。
工具を片付ける。
そして、帰る。
仕事に一日でも早く戻らなければいけないからです。
その帰り道の空気は、本当に重いものでした。
親から「お前はダメだ」と言われたことは、ただの一度もありません。
責められた記憶もありません。
でも、だからこそ余計につらかったのかもしれません。
誰かに怒られたから嫌だったのではありません。
自分で自分が許せなかった。
ここまで時間を使って、店にも負担をかけて、家族にもスタッフにも協力してもらって、遠くまで来ている。
それなのに、自分の力を出せずに終わってしまった。
その自己嫌悪が本当にきつかったです。
帰りのハイエースの中で、何度も考えます。
なぜ、あそこでいけなかったのか。
なぜ、あのジャンプで迷ったのか。
なぜ、スタートで出られなかったのか。
なぜ、普段できていることができなかったのか。
外の景色は流れていくのに、自分の気持ちはずっと会場に残ったままです。
全国遠征というのは、旅行ではありませんでした。
楽しい思い出だけではありません。
むしろ、力を出せなかった時の帰り道の重さの方が、今でも鮮明に残っているかもしれません。
勝とうが負けようが、帰れば店を開ける
レースが終われば、それで終わりではありません。
勝とうが負けようが、そこからまた長い帰り道があります。
結果が良ければ、うれしい気持ちはあります。
でも、ゆっくり余韻に浸っている時間はありません。
結果が悪ければ、帰り道は本当に重い。
あそこで迷った。
スタートが決まらなかった。
あのジャンプで躊躇した。
もっといけたはずだった。
そんなことを考えながら、また九州まで帰ります。
でも店に帰れば、現実に戻ります。
荷物を降ろす。
バイクを降ろす。
洗車する。
泥を落とす。
工具を片付ける。
ウェアを干す。
次に使えるように整える。
そして同時に、店は開きます。
お客様が来られる。
電話が鳴る。
修理の相談がある。
部品の注文がある。
納車の準備がある。
昨日まで全日本の会場にいたからといって、店の仕事が止まってくれるわけではありません。
レースで勝ったからといって、特別な一日になるわけでもない。
負けたからといって、落ち込んで休めるわけでもない。
何ごともなかったかのように、普通に戻る。
それが当時のモトクロスのレースでした。
レースは、スタートゲートが下りる前から始まっていた
バイクレースは、華やかに見える部分だけではありません。
長距離移動。
車中泊。
設営。
発電機。
レトルトの食事。
受付。
車検。
コース下見。
知らない土質への対応。
予選。
決勝。
撤収。
帰ってからの洗車と片付け。
そして、何ごともなかったかのように店を開ける日常。
そこまで全部が、自分にとってのモトクロスでした。
これは一般のライダーの方にも、少し知ってもらいたい部分です。
レース経験というのは、ただ速く走った経験ではありません。
準備すること。
状況を読むこと。
無理をする場所と、してはいけない場所を見極めること。
限られた時間で判断すること。
バイクを壊さず、人をケガさせず、無事に帰ること。
そういう感覚も、レースの中で身についていきます。
そしてそれは、一般道を走る時にも大事なことだと思います。
バイクは楽しい乗り物です。
でも同時に、準備と判断を間違えれば危ない乗り物でもあります。
レースをしていたから偉い、という話ではありません。
ただ、あの頃のモトクロスを振り返ると、バイクに乗るということは、走っている瞬間だけではなく、その前後のすべてを含めて成り立っているのだと感じます。
年を重ねて残るもの
今になって思うのは、結局そういうものしか残らないのかもしれない、ということです。
楽しかったことも、もちろんありました。
勝てた時のうれしさもあります。
うまく走れた時の気持ちよさもあります。
でも、年を重ねて本当に自分の中に残っているのは、むしろ楽だった記憶ではありません。
九州から全国へ向かった長い移動。
ハイエースでの車中泊。
寒くてエンジンをかけてヒーターでしのいだ夜。
発電機で炊いたご飯。
予選前の朝の重たい空気。
初めてのコースを短時間で読み切らなければいけない緊張感。
力を出せずに終わった帰り道の自己嫌悪。
店に帰れば何ごともなかったように荷物を降ろし、洗車し、また仕事に戻る日常。
正直、なかなか厳しかったです。
でも、そういう経験があったからこそ、今の自分の中に残っているものがあるのだと思います。
人間、年を重ねていくと、楽だったことよりも、苦しかったけれど逃げなかったことの方が残るのかもしれません。
あの時は大変だった。
もう二度とやりたくないようなこともある。
でも、あれをやってきたから、今の自分がある。
そう思えるものがあるのは、ある意味では幸せなことなのかもしれません。
バイクレースは、華やかな世界ではありませんでした。
少なくとも、自分が経験してきた全日本モトクロスは、そんなにきれいなものではありませんでした。
泥だらけで、眠くて、寒くて、腹が減って、不安で、悔しくて、仕事にも追われていました。
でも、そういうものを全部ひっくるめて、自分の中に残っている。
だから今も、バイクというものを簡単には語れないのだと思います。
ただ速いとか、ただ楽しいとか、ただかっこいいとか。
それだけではない。
バイクに乗るということは、自分の体力、判断、準備、責任、周りの人への感謝まで含めて成り立っている。
そういうことを、あの頃のレースから教わったように思います。
九州から全国の会場へ向かい、パドックで生活し、走って、帰って、泥を落とし、また店を開ける。
そこまで全部が、当時の自分にとってのバイクレースでした。
そして年を重ねた今、自分の中に残っているのは、案外、そういう厳しかった時間なのかもしれません