安全運転腹が立っても、淡々と走る

それも大切なライディングテクニックかもしれません

バイクに乗っていると、公道上ではどうしても嫌な思いをすることがあります。

強引に前へ入られた。
こちらを見落とされた。
車間を詰められた。
幅寄せのように感じる動きをされた。
こちらが悪くないのに、危ない目にあった。

バイクは、公道上ではいわゆる交通弱者です。

四輪車に比べれば身体はむき出しですし、接触すれば大きなダメージを受けるのは圧倒的にバイク側です。
相手から見えにくいこともありますし、バイクの加速力や減速の仕方、動き方を四輪ドライバーが正確に想像できていないこともあります。

だから、腹が立つ場面があるのは当然です。

「なんで今、出てくるのか」
「こっちを見ていないのか」
「危ないだろう」
「なめられているのか」

そう感じることもあると思います。

ただ、ここで大事なのは、その感情を持ったまま走り続けてしまうことの危うさです。

怒りは、集中力ではなく視野の狭さを生むことがある

心理学には、強い感情によって注意の向きが狭くなる、という考え方があります。

怒り、不安、恐怖、焦りのような感情が強くなると、人は「自分にとって重要だ」と感じた対象に注意を奪われやすくなります。

運転中でいえば、割り込んできた車。
急にブレーキを踏んだ前走車。
こちらに気づいていないように見える車。
自分に嫌な思いをさせた相手。

そういうものに意識が強く向いてしまう。

一見すると、それは集中しているように見えます。

しかし実際には、前の車ばかり見ているだけかもしれません。
相手の動きばかり気にしているだけかもしれません。
相手の悪意を探しているだけかもしれません。

その間に、本来見なければならないものが薄くなります。

横断歩道。
脇道。
後続車。
路面の状態。
歩行者。
信号の変化。
逃げ場。
前方全体の流れ。

バイクでこれを見落とすのは、とても危険です。

怒りでアクセルは開くかもしれません。
でも、怒りで視野が広がるわけではありません。

むしろ怒っている時ほど、自分では見えているつもりでも、実際にはかなり狭い範囲しか見えていないことがあります。

人は、相手の行動を悪意として受け取りやすくなる

もうひとつ、心理学には敵意帰属バイアスという考え方があります。

簡単に言えば、相手の行動を「たまたま」や「見落とし」ではなく、

「わざとだ」
「悪意がある」
「自分を軽く見ている」

と受け取りやすくなる心のクセです。

公道では、これがとても危険です。

たとえば、相手は単にこちらを見落としていただけかもしれません。
距離感を読み違えただけかもしれません。
運転に不慣れだっただけかもしれません。
急いでいて周囲を見る余裕がなかっただけかもしれません。

もちろん、それで危険な目にあったこちらが納得できるわけではありません。
危ないものは危ない。
腹が立つのも自然です。

ただ、それをすべて、

「わざとだ」
「なめられている」
「邪魔された」

と受け取ってしまうと、こちらの運転も変わってしまいます。

道路の上が、状況を読む場所ではなく、敵を探す場所になってしまう。

すると注意の向きがさらに偏ります。

相手の悪意を探す。
嫌な出来事を頭の中で繰り返す。
次の車にも身構える。
周り全体を疑いながら走る。

そうしているうちに、自分のライン、自分の車間、自分の逃げ場への意識が薄くなる。

それが怖いところです。

モトクロスは格闘技に近い。でも怒りに飲まれると結果は悪い

これは、私自身がレースをしていた頃にも強く感じていたことです。

モトクロスは、ある意味で格闘技に近い競技です。

相手がこちらのラインを潰してくる。
インに入ってくる。
アウトから被せてくる。
スタートで寄せてくる。
接触することもある。

それは、ある程度は競技の中に含まれています。

当然、こちらもそのつもりで走っています。
レースである以上、前に出るためには相手のラインを消すこともありますし、相手にプレッシャーをかけることもあります。

だから、レース中に相手に何かされたからといって、そのたびに腹を立てるわけではありません。

ただし、何でもありという意味ではありません。

「さすがにそれはやりすぎだろう」
「それは危ないだろう」
「それは競技の範囲を超えているだろう」

と思うことはあります。

そういう時は、当然、頭に来ます。
人間ですから、腹は立ちます。

でも問題は、その怒りを持ったまま走ることです。

レース中に限らず、走る前に何か引っかかることがあったり、相手に対して「この野郎」という気持ちを持ったまま走り出してしまった時は危なかった。

一見すると、そういう怒りや悔しさは良い方向に働きそうにも思えます。

闘争心が出る。
アクセルが開く。
気持ちが入る。
相手に負けたくないという思いが強くなる。

ところが、私の経験では、そういう時ほどろくな結果になりませんでした。

変なところで転ぶ。
普段ならしないミスをする。
余計なところで絡む。
ラインが雑になる。
冷静に見れば避けられたはずの展開に、自分から入ってしまう。

自分では攻めているつもりです。
でも実際には、攻めているのではなく、余裕を失っているだけだったのだと思います。

カッとなった瞬間、人は速くなるのではなく、雑になる。

これは、レースの中で何度も感じたことです。

闘争心と、怒りに飲まれることは違う

もちろん、競技では気持ちの強さも必要です。

穏やかすぎて闘争心がない状態では、前には出られません。
レースでは、相手に勝ちたい、前に出たい、ここで引かない、という気持ちも大切です。

スポーツ心理学にも、人によって最高のパフォーマンスを発揮しやすい緊張感や感情のレベルは違う、という考え方があります。
静かな状態で力を出せる人もいれば、ある程度気持ちが高ぶっていた方が力を出せる人もいます。

ですから、気持ちが入ること自体は悪いことではありません。

ただし、闘争心がある状態と、怒りに飲まれている状態は違います。

闘争心がある時は、熱くても冷静です。
相手も見えている。
ラインも見えている。
路面も見えている。
次の展開も考えている。
自分のリズムも残っている。

一方で、怒りに飲まれている時は、相手しか見えていません。

抜きたい。
やり返したい。
前に出たい。
思い知らせたい。

そうなると、走りは速くなるというより、荒くなります。

ラインを寄せられても。
ぶつけられても。
罵声を浴びせられても。
嫌なことをされても。

そこで感情に乗らない。

もちろん、腹が立たないわけではありません。
人間ですから、腹は立ちます。

でも、その怒りにハンドルを握らせない。

淡々と走る。
次のラインを見る。
次のコーナーを見る。
自分のリズムを守る。
相手ではなく、路面を見る。
怒りではなく、自分の走りに戻る。

その方が、最後に手元に残る結果は大きい。

これは、レースをしてきた中で、かなり強く感じていることです。

公道では、なおさら勝ち負けではない

この話は、レースだけではありません。
むしろ公道では、もっと大切です。

公道には順位がありません。
表彰台もありません。
誰かを抜いたからといって、何かが残るわけでもありません。

それなのに、道路の上で周りを敵のように見てしまう人がいます。

割り込まれた。
遅い車に引っかかった。
煽られた。
前に入られた。
こちらを見ていなかった。
思うように走れない。

そういう場面で、

「なんだ、こいつ」
「邪魔するな」
「なめているのか」

となってしまう。

しかし、その瞬間に運転の目的が変わってしまいます。

本来の目的は、無事に目的地へ着くことです。
バイクなら、なおさら無事に帰ることが最優先です。

ところが怒った瞬間、目的が変わってしまう。

相手に勝つこと。
相手を正すこと。
自分が損をしないこと。
前に出ること。

そこに意識が向いてしまう。

これが危ないのです。

怒りを消すのではなく、怒りに運転させない

最近の言葉で言えば、これはアンガーマネジメントに近い話かもしれません。

ただ、私が言いたいのは、怒らない人間になりましょう、ということではありません。

バイクに乗っていれば、腹が立つことはあります。
危ない目にあえば頭に来ます。
理不尽なことをされれば嫌な気持ちになります。

それは自然な反応です。

大切なのは、怒りを感じないことではなく、怒りに運転を支配させないことです。

腹は立った。
でも追わない。
腹は立った。
でも車間を詰めない。
腹は立った。
でも相手を敵として見続けない。
腹は立った。
でも次の状況を見る。

それは、怒りを押し殺すことではありません。

自分が今、怒っていることを理解したうえで、運転の目的を「無事に帰ること」に戻す作業です。

そう考えると、これはライダーにとってのアンガーマネジメントと言えるかもしれません。

ブレーキやコーナリングの技術だけが、バイクの技術ではありません。
自分の感情を安全側に戻す力も、バイクに乗るうえで非常に大切な技術です。

周りを敵として見ると、自分を失う

バイクは、公道上では弱い立場です。

嫌なことをされることもあります。
危ない目にあうこともあります。
相手に悪気があったかどうかは別として、こちらがヒヤッとする場面は少なくありません。

だからといって、周りの車すべてに敵対心を持って走ってしまうと、それはそれで危険です。

「どうせ車は見ていない」
「また邪魔される」
「こいつも危ない」
「なめられている」

そういう気持ちで走っていると、道路の上が、状況を読む場所ではなく、敵を探す場所になってしまいます。

すると、本来見るべきものが見えにくくなります。

相手の悪意を探す。
嫌な出来事をいつまでも頭の中で繰り返す。
さっき割り込まれたことを引きずる。
次の車にまで身構える。

そうしているうちに、自分のライン、自分の車間、自分の逃げ場への意識が薄くなる。

それは、いつか自分を失う原因になるかもしれません。

公道で本当に大切なのは、相手を正すことではありません。
自分が無事に帰ることです。

腹が立っても、持ち越さない

腹が立つこと自体は、悪いことではありません。

危ない目にあえば腹は立ちます。
理不尽なことをされれば、誰でも嫌な気持ちになります。
それは自然な反応です。

問題は、それをいつまでも持ち越してしまうことです。

さっきの車のことを考えながら走る。
次の車にも身構える。
周り全体を疑いながら走る。
気持ちが収まらないままアクセルを開ける。

これが危ない。

嫌なことがあったら、一度距離を取る。
少しペースを落とす。
深追いしない。
相手から離れる。
そして、気持ちを次の状況に戻す。

淡々と走る。

これは、簡単なようでとても難しいことです。

でも、バイクに長く乗るためには、とても大切な技術だと思います。

それはライディングテクニックより重要かもしれない

ライディングテクニックというと、多くの人は操作を思い浮かべると思います。

ブレーキが上手い。
コーナリングが上手い。
取り回しが上手い。
低速バランスが上手い。
速く走れる。

もちろん、それらは大切です。

しかし、どれだけ操作が上手くても、感情に飲まれてしまえば判断は乱れます。
見えていたものが見えなくなります。
安全マージンを自分から削ってしまいます。

そう考えると、腹が立った時に淡々と走ること。
嫌な出来事をいつまでも持ち越さないこと。
周りを敵として見ないこと。
自分の目的を「無事に帰ること」に戻せること。

これは、ライディングテクニックよりも重要な技術かもしれません。

バイクに乗るうえで本当に大切なのは、速く走ることだけではありません。

嫌なことがあっても、自分を失わないこと。
腹が立っても、安全側に戻れること。
そして、次の瞬間にはまた淡々と周りを見られること。

それもまた、立派なライディングテクニックだと思います。

道路の上で一番強いのは、怒った時に一番前に出る人ではありません。

嫌なことをされても、自分の判断と安全マージンを失わない人です。

腹が立つことはある。
でも、腹が立ったまま走らない。

腹が立っても、淡々と。
嫌なことを、いつまでも持ち越さない。

それは、バイクで無事に帰るための、とても大切な技術だと思います。