店員ブログいつもの自分なら選ばないバイクに乗ると、なぜかスッキリする理由

自分は長いことモトクロスをやってきたので、若いころはそれ以外のバイクは、バイクであってバイクではないとさえ思っていました。
それくらい、自分の中では好みも価値観もはっきり決まっていたのです。
しかしその後、家業を継いで仕事としてバイクショップをやるようになると、さすがにそればかりというわけにはいきません。

たまたまそこにあったバイクで出かけたり、お付き合いでイベントに参加したりして、普段なら自分では選ばないようなバイクに乗ることがあります。
すると、なぜかよくわからないけれど、わりとスッキリする感覚があるのです。

この感覚は、免許を取ったばかりの方にはまだあまりないかもしれません。
でも、バイク経験が長く、ひとつのジャンルを深く楽しんできた人ほど、案外わかるのではないかと思いました。

実はこの「なぜかスッキリする」という感覚は、気のせいでもなさそうです。
心理学でいうと、普段の思考や負荷から頭が少し離れる「ディタッチメント」に近く、さらに違うことに触れることで感覚や視野が広がる「自己拡張」や「マスタリー体験」とも言えそうです。

つまり、普段なら選ばないバイクに乗ることは、単なる珍しさではなく、自分の頭と感覚を少し広げてくれる体験なのだと思います。

バイクに長く乗っていると、自分の慣れたジャンル、自分の好きな乗り味、自分の得意な世界ができてきます。
それ自体は自然なことですが、同じ世界だけにいると、それが当たり前になりすぎてしまう。
だからこそ、あえて違うジャンルのバイクに乗る意味があります。

当たり前が崩れると、面白さが増える

ちょっと前に、自分がドラッグスタークラシック400に乗って、嫁がDS250で、紅葉でも見ようかという時期に竹田荻町あたりをまわったときがそうでした。
なぜかわからないけど、すごく面白かった。速さでもない、軽さでもない、攻める楽しさでもない。なのに妙に楽しい。

走っているうちに、ああ、ゆっくり走ってもいいんだなと思えたのを覚えています。
急がないからこそ景色もよく見えるし、その土地の空気まで入ってくる。

アメリカンのアップハンドルのポジションは荻の広い空がよく見えて、ああ気持ちいいなと思いました。

紅葉の時期ということもあって、なおさらそう感じたのかもしれません。
そのとき、アメリカンもなかなかいいものだなと思いました。

これはアメリカンが上だという話ではなく、自分が普段見ていなかったバイクの楽しさに触れたということだと思います。

違うものは脳にも刺激になる

これはバイクに限った話ではありません。

映画でも、自分ひとりなら絶対観に行かないような作品に、連れられて行ったら、何年も印象に残っていたりします。

たぶん、自分の好みや選び方の外にあるものに触れると、頭の使い方そのものが変わるのでしょう。
バイクも同じで、普段なら選ばないジャンルに乗ったときほど、「こんな面白さがあるのか」が起きやすい。
それが気分転換にもなるし、記憶にも残るのだと思います。

違うバイクは、自分の癖も見せてくれる

違うジャンルに乗る意味は、気分転換だけではありません。
技術面でもかなり大きいです。

自分が一時期SPA直入の走行会に行っていたとき、モトクロスでは感覚的に走れていたものが、ロードでは通用しないとよくわかりました。
ラインどりが大事で、どこに向かってどう走るかを詰めないとタイムは縮まらない。
この経験は、その後のモトクロスにとても役立ちました。

もちろん、モトクロスでもそういう考え方は大事です。
ただ、ロードのサーキットのように条件がある程度固定されている世界では、タイムを出しにいくための考え方やノウハウが、ある程度はっきりしているように感じます。
だから、それがわかっているのとわかっていないのとでは、かなり大きな差が出る。

一方でオフロードは、周回ごとにコース状況が変わっていく世界です。
ラインも路面もどんどん変わるので、その場でアドリブ的に対応し、変えていける柔軟性が必要になる。
そのぶん、自分の中では「その場に合わせる」ことの比重が大きく、ロードのように構造的に考えることが少なかったな、という反省もあります。

違うバイクや違うジャンルに乗ると、

  • ラフな操作
  • 視線やラインの曖昧さ
  • 開けるタイミングの雑さ

がごまかせなくなります。

つまり、違うバイクに乗ることは、自分の乗り方を見直すことにもつながるのです。

スクーターや小さいバイクにも、別の価値がある

一時期、ラジオの生放送にNMAXで通っていました。
街中では本当に便利で、しかもアクセルだけで駆動力を自然にコントロールできる感覚は、オートマならではの面白さがありました。

奥さんのクロスカブを借りてスーパーに行ったときも、適度なトルクと気軽さ、しかも買い物したものを積んで帰れる実用性があって、妙に楽しかった。自分の街の景色がよく見えるし。
アプリオで通勤していたころも、小さくて便利で、冬にハンドルカバーを付けると見た目はともかく暖かさは抜群で、ああ、こういうのは本当に役に立つんだなと思ったものです。

こういう経験をすると、バイクの価値は速さや見た目だけではないとよくわかります。

単気筒には、人を落ち着かせる力もある

SR400も持っていましたが、あの単気筒のとことこ感は、自分ひとりで少し遊びに行くときにすごく落ち着くものでした。
少し走って、その先の温泉で風呂に入って帰る。そんな時間がなんとも心地よかった。

若いころは、バイクといえばアクセル全開にできるかどうかが価値だと思っていたところがありました。
でもSRに乗ってみると、速さや刺激とは別のところでああ落ち着くな、救われるなと思えた。
これも、自分にとっては大きな発見でした。

SRって単気筒だから、速度を出しすぎると振動が強くなって、まるで
「おいおい、お前ちょっと飛ばしすぎだよ」
といさめてくるようなところがあります。
そうすると、こちらも
「ああ、そうか、速すぎたか。ごめんな」
と返したくなるような、不思議なやりとりが生まれる。

そういう、バイクと会話しながら走るような感じがあるのも、ひとりで走っていて楽しい理由なのかもしれません。

好きなジャンルがあっていい。でも、それしかないはもったいない

もちろん、人それぞれ自分の好きなベースのジャンルはあると思います。
それは自然なことです。

ただ、そこで
「これが最高」
「これしかない」
「ほかは認めない」

となってしまうのは、バイク乗りとしては少しもったいない気がします。

本当にいろいろ乗っている人ほど、

  • スクーターには街の良さがある
  • カブには日常の楽しさがある
  • アメリカンにはゆったり味わう良さがある
  • ロードにはラインを詰める面白さがある
  • オフ車には自由さがある
  • 単気筒には落ち着きがある

と、それぞれの価値が見えるようになるものです。

何台も持つ人の気持ちも少しわかる

だから、バイクを何台も持っている人は、単に集めているだけではなく、違う感覚の入口を持っていたいのかもしれません。

今日は速さはいらない。
今日は気軽に走りたい。
今日は鼓動を感じたい。
今日はラインを意識して走りたい。

そういう日に応じて選べるのも、バイクの深い楽しみ方なのだと思います。

バイクのジャンルに上も下もないと思うようになった

こうしていろいろなバイクに触れていると、だんだんバイクのジャンルに上も下もないのだと思うようになります。
速さや見た目だけで測れるものではなく、スクーターには街での合理性があり、カブには日常の気軽さがあり、アメリカンにはゆったり味わう良さがあり、オフ車には自由さがある。
どれが上かではなく、面白さの質が違うだけなのだと思います。

自分の店は、今でこそ大型バイクを扱うYSPですが、その前には主婦の方が乗る原付スクーターをメインで扱っていた時代も長くありました。
だからこそ、速いバイクや趣味性の高いバイクだけが価値なのではなく、毎日の買い物や通勤や送り迎えの中で、生活を支えているバイクにも確かな意味があると感じます。

だから今は、バイクを上下で見るのではなく、それぞれ違う価値を持った乗り物として見るようになりました。
バイクのジャンルに上も下もない。あるのは、それぞれに違う役割と、違う面白さがあるということなのだと思います。

結論

違うバイクに乗るというのは、別ジャンルを試すこと以上の意味があります。
自分の当たり前を崩してくれるし、頭も切り替わるし、自分の癖や弱点も見えてくる。
そして何より、バイクの面白さは一つではないとわかります。

オフロードしか知らなければ、ドラッグスターの面白さはわからなかった。
NMAXに乗らなければ、街中でのスクーターの合理性はわからなかった。
SR400に乗らなければ、バイクが人を落ち着かせ、救ってくれることもわからなかった。

だから、違うバイクに乗るというのは、自分の感覚の幅を広げ、自分のバイク観そのものを育てることなのだと思います。

あとがき

もし自分で、「自分はこっち系のライダーだ」「俺にはこれしかない」と言い切れる人がいるなら、逆にぜひ一度、違うジャンルのバイクに乗ってみてほしいと思います。

できれば、少し気になるものより、自分なら絶対選ばないようなものの方がおすすめです。

無理のない範囲で。また、自分が乗ったらどんな感じかなぁ、と想像するだけでもよいと思います。

案外そこに、自分でも知らなかったバイクの面白さや、救われるような時間が待っているのかもしれません。