
私たちYSPが見てきた、ヤマハの絶対王者
ヤマハの中須賀克行選手が、2026年シーズン限りで全日本ロードレース選手権を引退することを発表しました。
バイクレースに詳しくない方には、あまり名前を聞く機会がないかもしれません。
でも中須賀克行選手は、ヤマハにとって、そして日本のロードレースにとって、本当に大きな存在です。
全日本ロードレースJSB1000クラスで、通算13回のシリーズチャンピオン。
2025年までの優勝回数は94勝。
まさに、日本ロードレースを代表するライダーです。
「絶対王者」
いつの間にか、そう呼ばれるのが当たり前のライダーになっていました。
けれど、最初からすべてが順調だったわけではありません。
そして私たちYSPにとっても、中須賀選手はただ遠くから眺めるだけのスターではなく、ヤマハを背負い、YSPの思いも乗せて戦ってくれる、とても身近で頼もしい存在でした。
2006年、YSPレーシングとしての出会い
中須賀選手がヤマハ契約ライダーとなり、JSB1000に本格的に挑み始めたのが2006年です。
この年、私たちYSPにとっても、中須賀選手との最初の接点がありました。
当時のチームは「YSPレーシング」として参戦しており、各大会ごとにYSP関係者が持ち回りで監督を務める制度がありました。
九州大会では、私の父でもある河野一成が監督を務めました。
記憶では、そのレースで中須賀選手は序盤に上位を走っていたものの、タイヤの問題もあり、結果としては思うようなものではなかったと聞いています。
レース後、監督としてコメントを求められた父は、
「実力はあるんだから、これからいけるよ」
という趣旨の言葉を残したそうです。
もちろん、私たちもその時点で、中須賀選手が後にここまでのレジェンドになるとは思っていませんでした。
ただ、当時のヤマハにとって、そしてYSPにとって、中須賀選手の走りには確かに“これから”を感じさせるものがあったのだと思います。
当時のヤマハにとって、中須賀選手は希望だった
今でこそ、JSB1000でヤマハが強いというイメージは自然に感じられるかもしれません。
しかし当時のJSB1000は、他メーカーの勢いが非常に強い時代でした。
ヤマハは現在のような強力なファクトリー体制ではなく、なかなか勝つことができない状況が続いていました。
だからこそ、中須賀選手の存在は、私たちYSPにとっても大きな期待でした。
そして翌2007年。
中須賀選手はJSB1000で早くも初優勝を飾ります。
当時のJSB1000でヤマハが勝つことは、決して当たり前ではありませんでした。
だからこそ、その勝利は大きな意味を持っていました。
YSPとしても、当時は今以上に組織的な応援活動をしていた印象があります。
レース会場に足を運び、ヤマハのライダーを応援し、YSP全体で盛り上げようという空気がありました。
その中で中須賀選手が勝ったことは、私たちYSP関係者にとっても本当に大きな出来事でした。
「ヤマハでも勝てる」
「このライダーは、すごいことをやってくれるかもしれない」
そんな期待が、一気に現実味を帯びた瞬間だったように思います。
2008年、2009年。連覇がくれた大きな希望
そして2008年、2009年。
中須賀選手はJSB1000でチャンピオンを連覇します。
当時の私たちYSPにとって、これは本当に大きな希望でした。
それまでのJSB1000は、ヤマハが簡単に勝てる時代ではありませんでした。
だからこそ、中須賀選手が勝ち、さらにチャンピオンを獲ったことは、単なる一人のライダーの成功ではなく、
「ヤマハ、すごいじゃん」
「ヤマハでもここまで戦えるんだ」
という気持ちを、私たち販売店にも強く持たせてくれる出来事でした。
しかし、正直なところ、その時点でも、まさか中須賀選手がその後ここまで長くトップを走り続け、JSB1000で通算13回ものチャンピオンを獲得するとは思っていませんでした。
2008年、2009年の連覇だけでも十分すごかった。
でも結果的には、それは始まりにすぎなかったのです。
中須賀選手は、ヤマハにとって、そしてYSPにとって、単に速いライダーではありませんでした。
勝てなかった空気を変え、ヤマハのロードレースにもう一度大きな希望を持たせてくれた存在だったのだと思います。
鈴鹿8耐。速いだけでは勝てないレース
中須賀選手を語るうえで、鈴鹿8耐も欠かせません。
全日本JSB1000では、すでに絶対王者と呼ばれる存在になっていた中須賀選手。
しかし、鈴鹿8耐では勝利までにかなりの時間がかかりました。
スプリントレースでは圧倒的な速さを見せる。
予選でも上位につける。
時にはポールポジションを獲る。
それでも8時間というレースは、簡単には勝たせてくれませんでした。
マシントラブル。
転倒。
ピット作業。
天候。
チームメイトとの総合力。
そして、8時間を通して何が起こるかわからない鈴鹿8耐独特の難しさ。
速いだけでは勝てない。
強いだけでも勝てない。
中須賀選手ほどのライダーであっても、鈴鹿8耐の頂点に立つまでには時間が必要でした。
その流れが大きく変わったのが、2015年です。
この年、ヤマハは新型YZF-R1を投入します。
このR1は、現在のYZF-R1にもつながる系統のモデルで、クロスプレーンエンジン、高度な電子制御、MotoGPマシンYZR-M1の思想を色濃く反映した、ヤマハのスーパースポーツの大きな転換点となった一台でした。
そのR1で、中須賀選手はついに鈴鹿8耐の優勝を勝ち取ります。
2015年の鈴鹿8耐優勝は、中須賀選手の勝利であると同時に、新世代YZF-R1の強さを世界に見せた勝利でもありました。
全日本JSB1000で見せていた速さと強さ。
ヤマハの新しいR1のポテンシャル。
その二つが、鈴鹿8耐という大舞台でついに結びついた瞬間だったと思います。
MotoGPの表彰台に立った衝撃
中須賀選手は、全日本や鈴鹿8耐だけでなく、MotoGPでも強烈な印象を残しています。
特に忘れられないのが、2012年のMotoGP最終戦バレンシアGPです。
このレースで中須賀選手は、負傷したベン・スピース選手の代役としてヤマハのYZR-M1に乗りました。
当日は雨絡みの非常に難しいコンディション。
世界最高峰のMotoGPで、しかもスポット参戦。
普通に考えれば、完走するだけでも簡単ではない状況だったと思います。
しかし中須賀選手は、そのレースで見事に2位表彰台を獲得します。
私は現地で見ていたわけではありません。
当時、MotoGPの有料放送でリアルタイムに見ていました。
正直、画面の前で見ながら、
「え? このまま表彰台に立つのか?」
という感覚だったのを覚えています。
全日本ではすでに速さを知っている。
ヤマハのテストライダーとしての実力もある。
でも、MotoGPの決勝で、世界のトップライダーたちを相手に表彰台に立つというのは、また別の話です。
雨のレースだったとはいえ、雨だから誰でも前に行けるわけではありません。
むしろ、難しいコンディションだからこそ、マシンを感じ取る力、無理をしすぎない判断力、そして転ばずに速く走り続ける総合力が問われます。
その中で2位。
表彰台に立つなんて。
画面の前で見ていて、本当に信じられないような気持ちでした。
中須賀選手は、日本の全日本ロードレースで強かっただけではありません。
世界最高峰の舞台でも、チャンスが来た時にきっちり結果を残したライダーでした。

YSPにとっては、身近で頼もしいスターだった
当時のYSPには、今よりもレースとの距離が近い空気がありました。
ヤマハのYSPでは、年に一度ほど総会のような集まりがあり、その会議後の懇親会には、ヤマハのファクトリーライダーが来てくれることもよくありました。
そこで中須賀選手と接する機会もありました。
全日本で勝ち、鈴鹿8耐で戦い、MotoGPマシンの開発にも関わるヤマハのスターライダー。
普通に考えれば、雲の上の存在です。
けれどYSPにとって中須賀選手は、ただ遠くから応援するだけの選手ではありませんでした。
ヤマハの看板を背負い、私たちYSPの思いも乗せて、レースの現場で戦ってくれる存在。
言い方を変えれば、私たちを代表して戦ってくれるライダーのように感じていました。
だからこそ、身近であり、頼もしかったのだと思います。
レースの結果が出るたびに、
「中須賀選手が勝った」
というだけではなく、
「ヤマハが勝った」
「自分たちのライダーが勝った」
という感覚がありました。

ピットで見た、スターライダーの立ち居振る舞い
YSPとして、全日本ロードレース九州大会の際に、ピットツアーへ参加させていただく機会もありました。
普段はなかなか入ることのできないレースの現場。
ファクトリーチームのピット。
整然と並ぶマシンや工具、張り詰めた空気。
その中にいる中須賀選手の姿は、やはり特別でした。
もちろん、ただ愛想が良いとか、派手に振る舞うという意味ではありません。
そこに立っているだけで、
「ああ、この人はヤマハを背負って戦っているライダーなんだ」
と思わせるものがありました。
堂々とした立ち居振る舞い。
余裕のある表情。
そして、結果を出してきた人だけが持つ説得力。
やはりスターライダーというのは、走っている時だけではなく、ピットにいる時の空気も違うのだと思います。
その姿を近くで見た時、
「すごいな」
と素直に感じたことを覚えています。
中須賀選手は、ヤマハのマシンに乗って速いだけのライダーではありません。
ヤマハを代表する存在として、周囲にそう感じさせるだけの雰囲気を持ったライダーでした。
当たり前のように勝ち続けた時間にも、終わりが来る
中須賀選手は、当たり前のように勝ち続けてきました。
もちろん、勝つことが本当に当たり前だったわけではありません。
レースの世界で勝ち続けることが、どれほど難しいことかは、少しでも競技を知っていればわかります。
それでも、私たちの中ではいつの間にか、
「中須賀選手なら勝つ」
「ヤマハなら中須賀選手が何とかしてくれる」
そんな感覚が当たり前のようになっていました。
それが永遠に続くと思っていたわけではありません。
でも、正直なところ、その終わりについて深く考えたこともありませんでした。
しかし、どんなに強いライダーにも、どんな偉大な選手にも、いつか終わりは来ます。
中須賀克行選手にも、その時が近づいていたのだと思います。
それを知った時、寂しさと同時に、改めてこう感じました。
私たちは、ものすごい時代を見ていたのだな、と。
九州で応援できる最後の機会になるかもしれません
2026年の全日本ロードレース九州大会は、5月30日(土)・31日(日)にオートポリスで開催予定です。
中須賀克行選手のラストシーズン。
九州で中須賀選手を応援できる全日本は、これが最後になるかもしれません。
これまで中須賀選手の応援に行ったことがある方はいらっしゃいますか?
ピットツアーで見たことがある方。
オートポリスで走りを見たことがある方。
テレビや配信で応援していた方。
ヤマハが勝つたびに、うれしい気持ちになった方。
ぜひ、次の九州大会はオートポリスで一緒に応援しましょう。
「中須賀選手、すごかったよね」
そう後から語るだけでなく、最後の走りを、できれば現場で見届けたいと思います。
ヤマハの絶対王者。
YSPにとって、身近で、頼もしく、そして誇らしい存在だった中須賀克行選手。
そのラストシーズンを、しっかり目に焼き付けたいと思います。