その他・雑談原付は、バイクだけでなく「乗り物文化」の入口だったのかもしれません

最近、原付免許が昔より取りにくくなっているように感じます。

もちろん、制度として原付免許がなくなったわけではありません。
16歳から取得できますし、学科試験に合格すれば原付免許を取ることはできます。

ただ、実際には学科試験だけでは終わりません。
原付免許を取得するには、原付講習、つまり実車を使った講習を受ける必要があります。

警視庁の案内でも、原付講習を受講しなければ運転免許証は交付されないとされています。つまり、全国的に見ても、原付免許は「試験だけ受ければすぐ終わり」というものではありません。

そして、この原付講習の実施方法が、地域によってかなり違います。

たとえば大分県の場合、原付講習は予約制です。
運転免許センターでの実施は週2日、火曜日と水曜日。
中津・日田・佐伯の自動車学校では月1回程度となっています。
しかも、当日の受付はできず、事前予約が必要です。

つまり、試験は受けられる日があっても、講習の日程が合わない。
試験と講習の場所が違う。
学校や仕事の都合と合わない。
そういうことが普通に起こります。

昔の感覚で言えば、原付免許というのは、もう少し身近なものでした。
「ちょっと勉強して、試験を受けに行って、原付に乗り始める」
そんな入口だったように思います。

もちろん安全のための講習は大切です。
ただ、実際の入口として見ると、以前より少し遠くなっているのは確かだと思います。

原付そのものも、昔ほど身近ではなくなった

原付免許が取りにくく感じる背景には、原付に乗ろうとする人そのものが減っていることもあると思います。

日本二輪車普及安全協会の案内にもあるように、普通免許を持っていれば原付に乗ることができます。
つまり、18歳以降に普通車の免許を取る予定がある人にとっては、16歳でわざわざ原付免許だけを取りに行く理由が、昔より弱くなっているのかもしれません。

二輪市場全体を見ても、国内新車販売は1982年の約330万台をピークに大きく減少し、2024年は36.7万台となっています。ピーク時から見ると、およそ10分の1です。

また、2024年の二輪国内保有台数では、原付一種は約417.7万台。
かつて二輪保有全体の70%以上を占めていた原付一種は、2024年には40.6%まで下がったとされています。

さらに現在の二輪新車購入ユーザーの平均年齢は56.5歳。
40代以下は21%、新規購入は11%という調査結果もあります。

こうして見ると、今の二輪市場は、若い人がどんどん入ってくる市場というより、すでに乗っている人が買い替えたり、増車したりして支えている面が大きいのかもしれません。

2025年からは「新基準原付」も始まった

原付を取り巻く環境は、車両側でも変わっています。

2025年4月1日から、従来の50cc以下に加えて、125cc以下で最高出力4.0kW以下に制御された車両も、原付免許で運転できるようになりました。

これは一見すると、原付の選択肢が広がったようにも見えます。

ただ、その背景には、従来の50cc原付が排出ガス規制への対応で厳しくなっているという事情もあります。自工会も、2025年11月からの新たな排出ガス規制により、現行の50cc車両は2025年10月末をもって生産終了となると説明しています。

つまり、原付は制度として残っていても、昔ながらの50cc原付スクーターの世界は、かなり大きな転換点に来ているのだと思います。

でも昔、原付はただの移動手段ではなかった

ここからは、少し昔話です。

私たちの高校時代、原付通学が認められている学校では、同級生の多くが原付スクーターに乗っていました。

それは単なる通学の足ではありませんでした。

ヤマハのアクティブに乗っていた友人がいました。
彼はとにかく、そのアクティブをいつもきれいにしていました。
ワックスでピカピカに磨いて、大事に、大事に乗っていたのを覚えています。

その後は付き合いがなくなりましたが、きっと今でもクラウンのような車を、きれいに磨いて乗っているのではないか。
そんな気がします。

イブパックスだったと思いますが、それに乗っていた友人もいました。
彼はウィリーがとても上手でした。

ただふざけているだけに見えて、今思えば、バランス感覚やアクセルワークはかなりのものだったのだと思います。
その後、ミニバイクレースでNSRに乗るようになり、実際にけっこう速かったのを覚えています。

一緒に通学していた友人は、スズキのカーナに乗っていました。
少しひねりの効いたバイクが好きなタイプでした。

そして今でも、その感覚は変わっていないようです。
現在乗っている車は、ホンダCR-Xをガルウイングにしています。

こうして思い返すと、原付にはその人の個性が出ていました。

きれいに磨く人。
うまく操ろうとする人。
人と違うものを選ぶ人。

原付は、ただの移動手段ではありませんでした。
その人が乗り物とどう付き合うのか。
その最初の姿が、原付に表れていたように思います。

原付は、四輪文化の入口でもあったのではないか

原付というと、どうしてもバイク業界だけの話に見えます。

でも、実はそうではなかったのではないでしょうか。

原付を大事に磨いていた人は、その後、車もきれいに乗る。
原付で操る楽しさを覚えた人は、ミニバイクレースやスポーツカーに興味を持つ。
少し変わった原付を選んでいた人は、やっぱり人と違う車を選ぶ。

そう考えると、原付の普及によって恩恵を受けていたのは、バイクメーカーだけではなかったはずです。

トヨタ、日産、ホンダ、マツダ、スバル、スズキ。
趣味性の強い四輪。
スポーツカー。
カー用品。
整備。
カスタム。
モータースポーツ。

そういった世界にも、原付という入口はつながっていたのではないかと思います。

昔は、いきなりスポーツカーを買うわけではありませんでした。

まず原付に乗る。
自分の意思でエンジン付きの乗り物を動かす。
友達の原付を見る。
少し速いもの、少しかっこいいもの、少し変わったものに憧れる。
そこから、バイクや車への興味が育っていく。

その時間があったのだと思います。

憧れは、いきなり生まれるものではない

趣味性の強い乗り物は、必要だから買うものとは少し違います。

スポーツカーもそうです。
荷物がたくさん積めるわけではない。
人がたくさん乗れるわけでもない。
維持費もかかる。
実用性だけで考えれば、もっと便利な車はいくらでもあります。

それでも欲しいと思うのは、どこかで憧れが育っているからです。

あの音がいい。
あの形がいい。
あの動きがいい。
ああいう車にいつか乗ってみたい。

そういう気持ちは、ある日突然生まれるというより、若い頃の小さな体験の積み重ねで育つものだと思います。

その最初の体験が、昔は原付だった人も多かったのではないでしょうか。

今は、その入口が細くなってしまった

今は、原付免許を取るにも講習の日程や場所の問題があります。
原付そのものも少なくなりました。
50ccの車両も大きな転換点を迎えています。

もちろん、時代が変わったと言えばそれまでです。

移動手段も変わりました。
生活スタイルも変わりました。
乗り物に求められるものも変わりました。

ただ、少し残念に感じるのは、原付という身近な入口が細くなることで、バイクだけでなく、車も含めた「乗り物への憧れ」が育つ場所まで減ってしまったのではないか、ということです。

昔は、学校の駐輪場が小さなモーターショーのような場所でした。

誰かの原付がピカピカだった。
誰かの原付が少し速かった。
誰かの原付がちょっと変わっていた。
そこから会話が生まれ、憧れが生まれ、次に乗りたいものが生まれた。

あれは、バイク文化の入口であり、四輪文化の入口でもあったのかもしれません。

原付が残したもの

原付は、ただ安く移動するためだけの乗り物ではありませんでした。

初めて自分の意思で動かすエンジン付きの乗り物。
初めて自分で所有する乗り物。
初めて磨いたり、直したり、友達と比べたりした乗り物。

そこには、乗り物と付き合う原点のようなものがありました。

今、原付免許が取りにくくなり、原付そのものも減っていく中で、あの入口が細くなってしまったことは、バイク業界だけの問題ではないように思います。

もしかすると、スポーツカーが売れにくくなったことや、趣味性の強い四輪文化が以前より小さくなったこととも、どこかでつながっているのかもしれません。

原付は、バイク文化の入口でした。
そして同時に、車好き、機械好き、モータースポーツ好きを育てる入口でもあった。

今になって振り返ると、あの小さな50ccの存在は、思っていた以上に大きかったのかもしれません。

みなさんは、最初に乗った原付を覚えていますか?

それは、その後のバイク選びや車選びに、少しでも影響していたと思いますか?